真理を求めて

真理を求め,新しき価値観を求め

心は丸く大きくSeeking the truth

の仙人 1

自然の正しさ


) 真実なものは
2) 正しさの糸口は
3) GLAの分裂
4) GLA  退会
5) 自然から学ぶ
6) 自然の中に愛は
7) 自然と愛について
8) 正しさは心で判断
9) 自然について
10)新しき価値観
11)心について
12) 心と魂について

真理を求めて 1

「私の弟子に佐原○○○という者がい
る、頑固な男でなー、弟子入りした当
時は、感謝とか愛情とか、心を丸くと
か、善なる思いが、正しさだと言って
いた。
最近はそのような事も言わなくなって
おる」

何故 
「言わなくなったか、」 と問いかけ
ると、「神さまも人間以上に人間らし
いでしょう、人間らしく生きておれば
良いのです、
世の為、人の為、人類の為です。」
とほざきやがった。
しかし妙にスッキリした精神状態にな
っておる。やつも少しは解ってきた
ようだ。
彼の心の中を覗いて、その道のりを記
してみようか、

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   1)真実なものは、  

何故。精神世界に  
幼い頃に聞こえていた声が、24歳
の時に聞こえ始め、理由も無いのに
精神的な苦しみが生じた。
この苦しみを取り除くには、宗教の道
に入るいがい助かる道はないと感じた
さまざまな宗教本を読んでみたが、
心に響くものがなかったのであるが、
高橋信次氏の書かれた本に引かれてし
まった
その頃高橋信次氏はGLAという宗教組織
を主宰していた。
入会も退会も自由と書いていたので、
どんなものか、
軽い気持ちで入ったのです。

入会してどうでしたか、

今、考えるとどこの宗教にでもあるよ
うに、感謝とか愛とか明るさ等々の
善なる教えであった。
それまでの私は善には無縁な、(善な
ことなど考えない)普通の生活をして
いたので、新鮮だったかもしれない、
善なることに嵌まりました。

善なる思いを持ってどうでしたか。

善なる思いの前に、悪の心を見つめま
したね、恨み、妬み、謗り(そしり)
怒り、自己保存、自我、我欲の気持ち
が無いか、見つめて無くしていきまし
た。

我欲の気持ちを徹底的に無くしてしま
った.
我欲の気持ちが無くなれば、給料を貰
っても嬉しく無くなるのです。
こんな紙切れを貰うために仕事をして
いるのかと、
人生がむなしくなってしまった。
この世に生きてる限り、ある程度の欲
を持つことは必要です。

感謝しましたね、何に対しても感謝で
す。
ありがとうの気持ちですね。
例えば、健康な身体に感謝するとしま
す。
健康な身体を与えて貰ってありがとう
感謝します。
健康な身体に生んでくれてありがとう
感謝します。
しかし感謝は、して貰ったことに対し
ての感謝ですね。
感謝を続けていると、して貰ったこと
ばかりで、何もしていない自分自身が
惨めになってしまうのです。
感謝は良いことなのに、過度になれば
惨めになってくる。
本当に良いことならば、過度にすれば
するほど、楽になっていくものだと
思考したのです
感謝は本当に良いものだろうかと疑問
がでてきました。

愛についてもそうなのです、
愛だと感じて行っても通じないことが
あります。
相手に愛が通じないのは、愛が足らな
いからだとか、愛は無償の愛をとか、
宗教の世界ではでは言われております
いつまでも無償の愛を他人に与え続け
ることは、不可能なのです、精神的に
疲れてしまいます。
(無償の愛が出来るのは子供に対して
だけではないかと考えます。
子供は学校に行く位までは、可愛いで
すね、
可愛いと感じるのは子供から愛を貰っ
ているのですね、お互いさまなので、
無償と言いがたいですが)

人に感謝しなさいとか、愛し続けなさ
いとか言う人は、それをしたことが
無い人が言って
いるのではと考えています。、、

感謝とか、愛とか、明るさ等々の善な
ることは、やっている当事者が言うも
のではなく、第三者が、決めることな
のでしょう。

それからどうしましたか

常識的な感謝、報恩、慈悲、愛、平和
、正しさを捨ててしまいました。
これらを捨てると、心に穴が開いたようになってしまった。
精神的なバックボーン 柱が無くなっ
てしまいました。
これらに変わる、本当の物を探しまし
たね。
しかしなかなか糸口も見つからづ、苦
労しました。

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  2)正しさの糸口はそのようにして、見つけましたか。

ある年の初夢で,この世からは亡くなっ
ている人が出てきたのです。
彼が言うには
「人を相手にせず、自然を相手にして
行きなさい, 私もそのようにやってい
ます」と
この言葉は信じました。

亡くなってあの世から言っていること
だから間違いは無いと確信したのです
生きている時だったら、信じていなか
ったでしょうね、 
人を相手にせず、どのように生きてい
くのかと、私も霊的なことは常に疑い
ながらやってきましたから、

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3) GLAの分裂について 
真理には、余分だが道順として記す

GLA関西本部が分裂する数ヶ月前から、
「分裂を防ぎなさい」との声が聞こえ
るようになってきた。
しかしその声を無視していたのです。
地位も名誉も無い一会員がそんな事を
言っても、気が変になったやつだと
思われるだけですから
(霊能力があることは、誰にも言って
なかった、道を求めるのに霊能力は
関係ないと)
GLAの中には霊道が開けていた人や、
偉い人がいる。
何故、そのような力のある人に言わな
いのかと感じていた。

そのような事情で、無視していたのだ
が、「防ぎなさい、防ぎなさい」との
声が頻繁に聞こえるようになった。
トイレの中にまで、聞こえだしたので
す。
私も堪忍袋がきれて、言い返した。
「防ぎなさい、防ぎなさい、ではどう
したら良いか、どうしたら防げるのか.
やりようがないやろ」と
何日間は声がしなくなった。あきらめ
てくれたかなと思っていると、
「地位、名誉を無くして平等な組織に
したら防ぐことができる。」と言われのです。

ここまで言われたら、動かないわけに
はいかないです。
GLAでの地位、名誉のある人々にいった
が、誰も信用しなかった。
「地位、名誉をつけてから言え」と言
った人もいた。
そうだろうな、それが普通だが、 救い
は一人だけ支部長が自分の奥さんに
「分裂しないな」と問うと、 ジッと考
えこんでいた、
あの人も分裂を感じていたのかな、 私
の意見に反対しなかった人が一人だけ
いた、一人だけでも反対しない人がい
た、それだけが救いだった。
その奥様には感謝、、、、、ではない
な、 その人のことを思うと嬉しさが込
み上げてくる。
このような組織に入っていては、修行
の妨げになると考えGLAを退会した。
その後、三ヶ月程してから、GLAは分裂
したと会員から聞いた
この時、組織の怖さを知った、 組織に
入るならば、地位、名誉の無い、
平等な組織でしょうか宗教、信仰する
ならば組織ではない仏道、神道が良い
でしょう、
拝みたいときに行って拝むので、人間関係に組織に縛られないから良いのです。

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  4) GLAを退会してから、
    どうしましたか


自然を探し求めて、放浪の旅を続けま
した、
北は北海道から南は九州まで, 各地の
自然を求めていました。
自然とは何か、答えを探して、全国を
放浪しても答えはでなかった。
山の中に篭った、私が篭るのは一週間
です。
何回か篭っていると、最初の3,4日
は俗世間の垢にまみれているの
だろう、 さしたる変化はないが、4日
も過ぎると、心も頭も身体が澄みきっ
てくるのです

昼から夜に変わる一瞬の静寂感、経験
した者でないとこの静寂さは理解でき
ないだろう。
しかし篭りが終り、人里に戻ると静寂
さは、無くなり俗世間の人となってし
まう。
それの繰り返しであった。
ある時、生駒山を歩いていると、自然
の姿そのものが神さま仏さまの姿だと閃いたのです

それ以後 自然から人生を学び取るようになった。

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 5) 自然からどのように
   学びましたか、


緑を見つめる時間が長くなりました。
サラリーマンをしていた頃は常緑樹を
見ても何も心に響かず 、落葉樹ばかり
が眼についていたものです。
冬の寒い時期に葉っぱを落として、
寒々と春を待っている木です。
自己の姿が現れているようでした。

その頃の私は(30代後半)精神世界
を探求する事が、好きでした。
この道を歩みたいがために会社を退職
して、霊能者の道を選びました。
霊能者を職業としてからは、小さな木
の常緑木が眼につくようになったのです。
大きくはなれない木だが、小さくまと
まって緑の葉をいつも、つけています
時間があれば、いつも眺めていました

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6)自然の中に愛はあるのか

樹木、草花に愛の思いを投げかけても
彼らは知らん顔です通用しないのです
田畑に雑草が生えて、農作物を育てる
人は苦労しますね、
農作物を育てるには毎日のように、雑
草を抜かなければなりません。
彼らはそんなことは平気で抜かれても
生えてきます。
その頃に思考したことは、樹木、草花
に愛があるならば、田畑に雑草は生え
てこないであろう、と考えました。
もし彼ら樹木、草花に愛とか思いやり
の気持ちがあるならば、田畑には生え
てはいけないと思い生えてこないであろう、、、、と
彼ら自然なる樹木、草花は、愛とか思
いやりではなく、生き続けることだけ
が大切な目的、意義なのです、、、

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  7)自然と善について、

それでも人々は善に向かって歩いてい
きます。
善に対して、思い違い、勘違いしてい
るのではないでしょうか、
感謝をしなさい、愛していきなさい、
慈悲の気持ちで接していきなさい、
それらの言葉は正しいとされ、反論で
きないからです。
善なることは、感謝だけではないでし
ょう、
愛、慈悲だけではないでしょう。
一つの言葉だけを取り上げて、やって
いきなさい、、、、
説教だけなら猿でできる。
感謝だけでは無いのです、愛、慈悲だ
けでもないのです。
感謝、報恩、慈悲、愛、平和、喜び、
成長、繁栄、素直、成功、豊かさ、
健康、等々の善なることが抱合された
ものが、自然であり善なることなので
す。

感謝、報恩、慈悲、愛、平和、喜び、
成長、繁栄、素直、成功、豊かさ、
健康(他にも善なる言葉は沢山あるでし
ょう)
等々を平均的に行うのが良いのです。
愛だけを感謝だけを取り上げてやって
いけば、心は歪になってくるのは自然
の理です。
これらの良い言葉を平均におこなうと
したら、善にこだわらない、普通の
人間に戻ってしまうのです。

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 8)正しさは心で判断する

昨今は、言葉が乱れているように感じ
られます。乱暴な言葉を使用している
若者が見受けられるようです。
若者だけではなく、子供を持つ親にも
乱暴な言葉を、子供に向けている親も
見受けられます。
親から乱暴な言葉を受けて育った人も、粗雑な言葉使いになり、人間関係で
苦しみの原因の一つになってしまいま
す。
言葉は直すには、緑に話かけるのが良
い方法なのですが、すこし高等戦術が
必要になってきます。
自己の心の動きを見つめていなければ
ならないからです。

この精神世界のホームページを見てい
る人は出来ていると、仮定して進めて
いきます。
緑に話かけてみます。 花を咲かしてい

(花がしおれている、少ししか花を咲
かしていない、)植物へ、 人に語るよ
うに
「お前は何や、汚いな、隣はお前より
綺麗に咲かしているぞ」と言うと、心
が動揺、苦しくなってしまうでしょう
心が動揺、苦しくなってしまうのは、
それが事実であっても、間違った言葉
を発しているのです。

正しいか、正しく無いかの判断は、心
が重たくなるか、軽いかで判断すると
間違いは無いでしょう、
人生の岐路に立たされても、Aの道、
Bの道、どちらの道を歩いたら、良い
かの判断も同じです。
心が重たくなるのは、間違っていると
心が教えているのです .
心が軽いのは、その判断は正しいと心
が教えているのです。 心が重たい、軽
いについて、解りやすいように、
おまけをつけよう。
家の中、部屋の中が、散らかっている
とします。
部屋の中が乱雑になっていると、片付
けなければと思います。
すぐに掃除をして片付ければ、気持ち
良いですね、 心は軽いです。
しかし今日は疲れているから今度にし
ょうと思ってしまう人は、なかなか
掃除できないで
片付けなければ、片付けなければ、
と思いながら過ごしてしまいます。
片付けなければという思いだけでも精
神エネルギーを使ってしまって、
身体まで疲れてしまうのです、
片付けなければという思いで心も身体
もどんどん重たくなってしまう。
身体は疲れていても、片付けたら心は
軽くなるでしょう、
心が軽くなるのは、正しいことをした
からです。
自然とは、何もしないことが、自然で
はないですよ。
自然に掃除する気になるまで、待つの
が自然では無いですよ
心が軽くなるように、積極的に行為、
行動することが、自然であり、心の正
しさです。

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   9)自然について  

想定外の反応 ある日、お参りをしてい
ると、階段を登ってくる足音が聞こえ
たので、その人のお参りが終るまで待
とうと拝殿の前で待っていると30代
の若者が来た。

その子が私に話しかけてきたのです
「総代の方ですか、私は祭りの太鼓台
を担いでいる者です」と
「総代の者とは違うよ」と答えても話
しかけてくる。
「今の職場に勤めてから、真面目にな
りました、時間を守るようにしている
し、約束をしても守っています」と語
りかけてくる。

仕方なく、ちょと相手をしてやろうと
考え、「君は神さまはいると思うか」
と問うと、
「ハイ いると思います、この草や木
、石ころにも魂が宿って、神さまがい
と思います」と答えた。

それを聞いていて、こいつは奇麗事ば
かり言っているなー、と感じたので、
一度、黙祷をさせて見たくなった。
「僕が見ていて上げるから、黙祷をし
てみるか」と拝殿の前で黙祷をさせた
彼の黙祷のようすを見ていると、
(イライラ)している心があった。
「イライラを捨てる、捨てると思っていこう」と声をかける。
イライラが少なくなってくると、
(何や、こいつは)との声があった。
「何や、こいつはを捨てる。捨てる」
と思っていこうと指示した、
何や、こいつは、という気持ちも薄ま
っていくと、 今度は(殴ったろか)と
声が聞こえた
「殴ったろか、を捨てる、捨てる」と
捨て去るようにした、
すると 「何ぜ、解るね、 何ぜ、解る
ね」との声が聞こえたので、その思い
も捨て去るように言うと、 彼の身体が
揺れだした、かなり動揺しているよう
だ。
これ以上の黙祷は無理だなと感じたの
で、止めさすと、
「何で解りますの、何で解りますの」
と問いかけてくる
「君の心が言ってくるから」と返事しても
「何で解りますの、何で解りますの」
と問いかけてくる。

仕方なく
「ここの神さまが教えてくれているか
ら」と
返答すると、納得したようだった、
「僕がいつも思っていることです」と
やっと、素直な気持ちで言葉を発した

ここ迄、前置きで、ここから自然には
いる、
前置きの方が長いかな、
(神社にはたくさんの木があるので)
「君は、このような小さな木に成りた
い、この木のように大きな木に成りたいの」と問いかけた。
彼は
「大きな木になりたいです」と返答す
る。
「だったらこの大きな木を見てみ、他
の木の枝がこの木の中に入っているだ
ろう、
自分のテリトリーを犯されても、怒っ
ていないだろう、
君は自分のテリトリーを犯されると怒
りまくっているんだよ」と説教すると
彼は
「それ、面白いですね、面白いですね
」との表現だった。
この表現は僕の想定外の返答だったので、新鮮に感じた.

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2012年 7月5日
  10) 新しき価値観  

  「人を相手にせず、自然を相手
   にしてゆく」


過去の話はこれくらいにして、現在、
新たに挑戦している事柄がある。
この真理を求めてにも、触れているが
、まったく新しい価値観である、
6月の中頃であった。 真理を求めての
2)正しさの糸口で触れているように
初夢で教えて貰った言葉を思い出した

「人を相手にせず、自然を相手にして
行きなさい,」と言われた言葉が、強烈
に蘇ってきたのです。
何故、人を相手にせずなのか、 今まで
の友人関係を振りかえって下さい、
仲の悪い友達のことをアレコレと思い
考えてしまうでしょう。
こんな事された、あんなこと言わなく
ても、私が悪いことしたかな、等々と

しかし仲の良い友達のことはあれこれ
と思い考えないでしょう、
仲の良い友達に対しては、その人を相
手にせず、自然の状態で付き合って
いるからです。
感謝も愛も悪口も恨みも相手を意識し
ているでしょう、
相手を意識したら楽しみもあるが、
苦しみも生じてしまうのです。
苦と楽の輪廻から逃れられないでしょ
う。
人を相手にするから苦しみが生じてし
まうのです。
仲の良い友達のように、何も考えず、
思わずに人々と接することが出来たら
良いと思いませんか、 人を相手にせず
とは、、、そういう事だったのです。
そんなに簡単にできないのでは、、、
という質問が出てきそうですね。
ハッキリと言えます。 出来ると。
人を相手にせず、自然を相手にしてゆ
く、と思い考え続けるだけですから、
緑を見ながら、、
「人を相手にせず、自然を相手にして
ゆく」
と思考していくと、思い考えることが
少なくなってきます。

現在、鑑定にも使用しているが、今ま
でしてきた、捨てる、捨てる以上の結
果がでています。
それとともにストレスがあります、暗
いことを思考する以前にストレスがあ
るのです。
ストレスは厄介なもので、ストレスを
受けているのが解っても、原因は以外
なところにあるのです。

1)例 人を相手にせず、自然を相手に
するを目的として、瞑想していると
心がズタズタに傷ついているのが、
解ったのです。
この傷は何処で受けたのだろうと、
過去を振りかえって見ました。
ここに記してある 3)GLAの分裂
についてでした、
皆から反対を受けたために傷ついてい
たことに気がついたのです。
反対され、自分から退会しているので
、心が傷ついていたことには、まった
く気づいていなかった。

2)例 ストレスを捨てる、捨てると思
っていると、小学一年の時、苛めにあ
った時のことを思いだしたのです。
苛めを見つめながら、ストレスを捨てると観じていると、苛められた事はス
トレスにはなっていなかった。
苛めにあっていることが、親に知られ
るが、ストレスになっていたのです。
「人を相手にせず、自然を相手にする
」、、
とストレスを捨てる、捨てると両輪で
心を磨いている、思考することが、少
なくなり心も頭も楽になってきていま
す。

人を相手にせず、自然を相手にする、
今はこの道を歩んでいる。 何処に到達
することでしょう。 一度、やって見て
は、、緑を見ながら、

「人を相手にせず、自然を相手にする
」事だけを思考してみては、思うこと
が少なくなっていきますよ。
雑念、妄想に悩まされなく、平安にな
れることでしょう。

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この真理を求めての項は、何かに取りつかれたように、書いてしまった。   後はユックリと仕上げていこうかな



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2012年7月17日
    11)心について
 
呼吸について 人間は考える葦である、
フランスの哲学者 パスカルの言葉である。
考えることは人間の習性なのでしょう
女性は、思い考えることが大好きな
ように見受けられます。
単純なことですが、考えるということ
は、頭の脳みそを使用することです。
勘違いしてはならない。 考えることイ
コール思うことでは無い、
胸、心で思うことは、思いであって、
考えていることではないのです。
胸で思うだけでは無く、武道、ヨガな
どをしてきた人は複式呼吸をするので
お腹で思っている人々もいるのです。

思うことが多い人は、胸で呼吸せずに、お腹で呼吸している人が多い。
呼吸は胸で肺でするものなのです。
胸筋が上にあがるほど、大きく胸で肺
で深呼吸する習慣をつくりましょう。

今どんな呼吸をしていますか、腹式呼
吸をしていないですか、
人々は相手の気持ちを思いやって、心
を大切に、、、と語ります。
心がその人自身であり、心がその人の
全人格を表しているように思っています。
しかし心ほど、不安定なものはありま
せん、先ほどまで笑っていたが、
もう泣いている、
さっきまで機嫌が良かったが、
いつのまにか機嫌が悪くなっている、
人々の心はその時々によって、
変化している、
刻々と移りかわる心の思いに、振り回
されてしまっているのです。
心が自分自身では無いのです。 エー 
心が自分では無いの、声が聞こえてき
そうです。

過去を振り返ってごらんなさい、 こん
な暗いこと、嫌なことを思いたくない
のに、思ってしまうと感じたことが
ありませんでしたか。
暗いことを思っているのは心です。
こんなこと思いたくないのに、
と感じているものが自分自身なのです

話は変わるが、 2,3日前にお参りに
いき、心と頭の思考を外にださないよ
うに、黙祷していました。
お参りの帰り道、予期しない精神状態
になった。
その時の精神状態は、心の自由と開放
感を感じたのです、
(皆が考えているような、思い通りに
できる自由ではないですよ)
心が開放されるという言葉は知ってい
たが、開放感は初めて感じた。
心の自由、開放感と記載しても、経験
のない人々には、頭で理解できても
、ハートでは理解できないでしょう、
その時の感情を解りやすく表現すると
、何事にも囚われない気持ちでしょう
か、
この時の気持ちを皆に解るように説明
すると落ち着きという表現と
するのが近いのではと感じている。

元に戻るが、 人々はさまざまな思考を
、持っているが、思うことが多い人は
喜怒哀楽、感情、自分の都合で色々と
思っています、
自分の都合だけで思うのではなく、心
を落ち着かせて思考すれば、思うこと
も少なくなってくるでしょう。
心で何かを思う、思うだけでも、精神
エネルギーを使うので、精神的に疲れてしまいます。
思うことを少なくすれば、心も身体も
健康になっていくでしょう。
心を落ち着かせて、考え、思い、行為
、行動することが、
心の安定となっていきます。

-----------------------------戻る
2012年7月20日
     12) 魂と心  

私が高校生の頃、、、精神世界の本を
読んでいたのですが、心を大切にと言
うような表現方法は無かったように覚
えている。
心の変わりに魂を大切にするような表
現方法が多かったのです。

魂を辞書で調べると、心と身体の両方
を表すとある。
心については胸の中で色々と思うこと
が心の動きであるが、身体は行為、
行動を現わしている。
魂とは心と行為、行動の両面を現して
いるのです。

1)例をあげると 大津市の学校のいじ
め問題、担任の先生もいじめを
見ていて一緒になって笑っていたと、
ネットで報道されている。
いじめる側の楽しい気持ち(人をいじ
めて楽しい気持ち、優越感)の心に同
調したのであろう。
この先生はいじめられる者の悲しみよ
りも、いじめる人の楽しい気持ちを優
先してしまったのです。
心だけで自分の思いだけで判断してい
たのです。

心がすべてと考えていたのでしょう。
心が楽しければ何をしても良いわけで
はないでしょう。
心がすべてと考えていると、やって良
いことと、悪いことの行為と行動の善
悪がつかなくなってしまうのです。

楽しければ何をしても良いと考え、良
い行為か、悪い行為かの判断が欠けて
しまう。

2)例  学校の運動会、心だけを優先
して、走競争で、全員が一等賞でしょ
う。
父兄の人に聞くと、
「何か、おかしい」と言われるの
だが、その何かが解らないのです。
学校でも心を優先して、走るのが速い
子よりも、遅い子の心を思いやってい
るのです.
子供同士で切磋琢磨して、心と身体
(心の善悪、行為、行動の善悪)の両
方を育てていくような教育が大切なの
です、
今はこの切磋琢磨がないですね、競争
と考えられていますから、 心のみを大
切にしたら、善悪の行為、行動の判断
がつきにくくなってしまいます。

そろそろ本題にはいりましょうか。
幼かった時のことを思い出して下さい
小学生、中学生位の頃は、思ったこと
はすぐに行為、行動していたでしょう
遊びに行こうと思ったら、遊びに行っ
ていたでしょう、
勉強しようと思ったら、勉強していた
でしょう。

思いは、行為、行動に繋がるものです
大人になるにつれて、思ったことは行
動に繋がっていかない。
行為、行動に繋がらないのは、雑念に
近いのです。
子供が勉強しない、ガミガミと勉強し
なさいと感情(心)だけで言うだけで
は無く、勉強させるために、どのよう
に行為、行動すれば良いか、考えて動
くのです。

また前に戻るが、真理を求めて2−7
自然と善についてに 感謝、報恩、慈悲
、愛、平和、喜び、成長、繁栄、素直
、成功、豊かさ、健康、等々を平均的
に行うのが良いのです。
と記載しているが感謝、報恩、慈悲、
愛、平和、喜び、成長、繁栄、素直、
成功、豊かさ健康、等々の行為、行動
をと具体的に考えるべきだった。

私個人の意見だが、感謝、報恩、慈悲
、愛、平和、喜び、成長、繁栄、素直
、成功、豊かさ、健康、等々の行為、
行動と問いかけていると、穏やかさと
暖かい心がでてくるので、穏やかさと
暖かい行為、行動も考えていこうかな

心のみ(その時の状況によってコロコロ
と変わる思い)を重要視せづに、魂を重
要視することです。
心のみの善に偏らずに行為、行動も善
なのかを、判断材料として、考えてい
くことです。
日本人としての魂(心と行為)、
大和魂、人類としての魂(心と行為)
、人としての魂(心と行為)の両面を
、磨いていこう。

追伸
人に迷惑さえ掛からなければ、何をし
ても良いというような風潮があります
これも心のみを重視しているのです。
電車の中で老人に席を譲らない、迷惑
をかけている訳ではないですね。
老人に席を譲らない行為、行動は人と
して良いことだろうか、
席を譲る場合、一言いいましょう。座
りますかと、
小さな親切、大きなお世話になるので
、私は聞いてから態度を決めます。
電車の中で座り込んでいる人がいる。
迷惑をかけていないですね。
電車の中で座っている行為は、人間と
してどうなのか。
心だけでは無く、行為、行動も磨いて
いけば良くなりますよ。