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髭の仙人です。

       真理を求めて  

真理を求めて

2017年5月11日


真理を求めて、大幅に削除したが、記載して欲しいとの
要望があり、要点のみを記載することにした。




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2012年12月23日

    1) 心の道  

心の状態

心とは厄介なもので、思いはその時々で変化し、今まで楽しかったが、急に
悲しくなってしまったり、突然に意味もなく、嫌になったり、苦しくなって
しまったりと、自身の心なのに制御不可能な状態となってしまうことがある。
心を制御出来るような方法があれば、、苦しむことも、嫌になることも、
無くなるであろう。

心は、本能、感情、知性、理性、想念とで、構成されている。
その図を下に示す。

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図1は 本能、感情、知性、理性、想念、それらを囲む心がすべて丸く調和の
とれた心の状態です。

図2は 心がハート型になっている状態です
知性、理性が歪んでおり、本能と感情だけで動いているような心の状態です。
彼、彼女のことを正しく判断できない状態です。
心が丸い状態に戻ると、冷静に判断できるので、あんな人とは思わなかった、
となります。
彼、彼女の心が丸くなると、あんなに愛してくれていたのに、、と
相手の態度が冷たく感じてしまう人もいるでしょう。
もう嫌いになったの、、、、と思ってしまうでしょう。
心が丸く普通の状態になってしまっただけです。
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図3の心は、イメージで自己の心を描くと、本能、感情、知性、理性、想念と
丸くなっているが、それらを心として描くと、丸くならずに、
ひし形となってしまう場合がある。
これは男性に多いだろうか、堅苦しい心の状態です。
正しさを主張すれば、角が立つの例えがあるが、心まで角が立っているのです。
この場合、自己の正しさを主張しないようにしましょう。
その正しさは自分勝手の正しさになっているので、心がひし形となっている。


NO4の図は、、本能、感情は丸いのだが、知性、理性が想念の中に入っている、
頭、本能、感情ではなく、知性だけで考えて、理詰めで責めてくる人に多い、
心や霊、神さまなど、眼に見えない物は存在しない。
存在するのであれば、見せてみろ。。。嘘ばかりついて、、、
と言う人に多い心です。

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図5の心は偉いとされている人物が言ったこと、
偉い書物に書かれてあることが絶対に正しいとして、信じ込んでいる人、
面白ければ、楽しいことであれば、人を傷つけることでも言ってしまう人、
このような人は面白い事、楽しい事が正しさなのですから、、
このような人はそれが、正しいと信じ込んでいるので、
何を言っても駄目です。
あまり相手にはしたくないですね。

NO6の心
怒りぽい心の人です、感情が理性、想念に入って想念が大きくなっている。
感情、理性が効かない状態です。
想念も大きいので思うことも多くて、感情を少しでも害すると、怒りとなって
しまう。

NO7の心
本能、感情、知性、理性、想念が下に落ちている状態です。
ウツの人、暗いことばかり思っている人に多い形です。
そのの他にもさまざまな心の歪みがあります。
今までも人々に描いてもらった事があるが、心の歪みは正直に出て
しまうようです。
どのような心であっても、心を図1のように、丸く大きくしていくと、
心は落ち着いて、安定していきます。
心は毎日の生活で歪んでくるので、少しづつ苦しくなってくるのです。

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NO8の心
知性だけが下がっているのは、頭だけで考えて落ち込んでいる心の状態
なので
「あんなこと言わなければ良かった、しなければ良かったと思い
落ち込んでいるでしょう。」と言うと
「何で解るの」との返答だった。
しかし、初心者にしては、心が円いので、私がその人の心を見ると
NO9のような心に見えたので、、このような心になっていますよ、 と心を説明した。
「知性が下がって想念の中に入り、感情も下がっているので、
先ほどの、 あんなこと言わなければ、しなければ良かったとする、
頭(知性)での 落ち込みだけでは無く、感情的にも、嫌な事があったり、
他人から嫌な顔をされたり、すると すぐに落ち込んでいるでしょう。」と

Aさんは 「凄い、、何でわかるの」、、、、
「心がそのような状態なので、その通りに言っただけです」と しかし心が
円すぎたので詳しく話を聞くことにした、、、
「大空に向かって心を描いてみる」
「空に向かってしたら、心が小さいです」
「どの位の大きさ」
手の指で大きさを表した 500円硬貨、ぐらいの大きさであった。
納得した。 心が小さいので、円くなって見えていたのです、
仙人は、Aさんの心を大きく見たので、 歪みが大きく
見えたのです。
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NO10 の心は 本能、感情、知性、理性は良いのだが想念が大きい場合
は、 考えること、思うことが多いのです、 考えなくとも、思わないで
良いことまで、細かく(こまかく)思って しまい、、疲れてしまいます。
この場合、、、 想念の大きさはそのままにして、本能、感情、知性、理性を
大きくしていきましょう。 心は歪んでも良いでしょう。 元々、、、
歪んでいるでしょう、、、、それ以上、歪むことは ないでしょう。。。
心を大きくして、、、、 心が大きく描けるようになると、少しくらいの
事は思い考えなくなって います




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    2) 心が丸く大きくなると

私は図に記載された心を、いまから30年程前に、実行している。
仕事が終ってから、生駒山の中腹に登って、地平線の彼方にイメージで、
本能、感情、知性、理性、想念と円を描き、その円を取り囲むように
心と思いながら、円を書くのである。
始めの頃は、心を小さくしか描けなかった。
丸ければ良いのだが、、歪むことが多くて何回、描いても歪んだままで
あった。
何日も続けていると丸くはなったが、、、
ある程度、心が丸くなってくると、地平線の彼方では無く、地球の大気圏の
先に意識を飛ばして、宇宙に心を描くようになってきた、
半年以上、心を丸く大きくすることに熱中した。
心が宇宙大に広がると、毎日が嬉しくて仕方がない、
心が喜んでいるような心境だったのです。

イメージで地平線の彼方に、、、大空に向かってでも良い、
自分の心がどのような心になるか、描いて見たら、正直な心の状態が
現れるであろう。

心が小さく、歪んでいても、無理に治そうとせずに、何回も描いていると、
少しづつ修正されてきます。
本能、感情、知性、理性、想念の一つだけが大きいと、丸くするために
大きいのを小さくしょうとしてはならない
心が小さくなるだけです、他の部分も大きくなるように描いて下さい

心を丸く描こうとして、小さく描かないで(小さく描くと丸くはなるが)
心は小さくなってしまいます、歪んでも良いです、大きく何回も描く
ことが肝要です。

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2014年4月5日

   3)本来の自分自身に戻る

自分を愛して生きなさいという教えは、昔からあったようだが、、
忘却されているのは、自分を愛することが、自己愛のようにに感じて、自分のことばかり
考えているように感じてしまうからであろう。
その通りである。

自分というのは、人と較べての自分であり、この世だけの考え方である。
人より上になりたい、、人に負けたくない、人から愛されたい、
人を愛したい、人より裕福になりたい、等々
人を相手にして、他の人々を目標にして、他の人と自分とを較べて
周りに振り回されて、自分は生きている。
自分は他の人や物質を相手にして思考しているのである。
表面的なことばかりを見て、聞いて判断しているのが自分である。
自分を愛する、自分を明るく、自分が根底にあって思考するのは
自己愛なのです。
自分が大切なのではない。
自分自身が大切なのです。

ある人に質問した。
「自分は仕事に関してどう考えている」と
「仕事でミスをしない事です」と答えた。
再度 質問した。
「自分自身は仕事に関してどう考えている」と
しばらくの沈黙のあとで
「チームワークが大切です」と

自分はと問うと、自分はミスをしないようにと、自分の事だけを考えている。
自分自身はと問うと、チームワークが大切ですと全体の事を考えていますね。

既婚者の女性に主人の事を尋ねた。
主人に対して
「自分はどのように考えているの」、、、と
「主人の事はどうでも良いが、健康でいて欲しい」、、と
もう一度 質問した
「主人に対して自分自身の考えは」、、、と
彼女もしばらくの沈黙のあとに
「結婚は契約なので、主人が死ぬまで私が面倒をみる」、、、と

貴方も自分の思考と自分自身の思考を較べて下さい
違う思考がでてくるでしょう。
自分より自分自身の思考が良いことに気づくことでしょう。


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2014年9月13日

     4) 呼吸について。

浅い呼吸をしている人は、思うことが多い。
細く呼吸している人は、緊張している。
お腹で呼吸している人は、落ち込み易い。
腹式、丹田呼吸が推薦されているようだが、、
お腹に肺は無いですよ。
呼吸は肺でします、胸でします
赤ちゃん、子供の呼吸は胸でしているでしょう。
肺で呼吸するように、なっているのだが、
大人になるにつれて、お腹での呼吸と変化している。
お腹で呼吸するにつれて、苦しいこと、嫌なこと、思うこと、
が多くなっていく。

嫌だったことを、思いだして下さい。
嫌なことを思いだしたら、呼吸を観察して下さい。
呼吸を短い時間単位でしていることに気がつかれるでしょう。
吸う、吐く、呼吸の波が静かになるように、呼吸を整える。


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2016年5月6日

       5) 本当の自分

ある日の事である。
事務所の2階で、大空に浮かぶ雲を見つめていると、
雲も生きている。
宇宙も生きているとする妄想をした。
それから数日後、宇宙の果てには何が、見えるのだろうかと
見ていると、何回見ても、自分の姿が見えてしまうのである。
(このような事を2015年の10月に記載したが、この文を読んだ人からだろう。
「我は神なり」と言う想念(生霊)がポンポンと飛んできたので、
即刻に削除した。)
再度、説明し記載しよう。
宇宙が自分の姿として見えたから、上記に記載している意味では無い。
 自然を求めて自然に同化し、
宇宙を求めて、宇宙に同化して、
最後に自分を発見したと言うことなのです
本当の自分を見つけたと言うことだけです。

今の自分は何ですか。
今の自分は人々に物質に、善と悪に、世の中に、振り回され、
心が乱れて、苦しくて仕方ないのが、今の貴方なのです。

本当の自分を探し、本来の自分に戻ることが、人生の根本である。
しかし最初から自分探しをしても無理であろうな、
答えだけが解っても、それを解く、数式、方法が解らないので、
本来の自分に到達できない。
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この宇宙にいる自分自身に善い思いをだしていると、
宇宙も自分自身であり、地球も、もう一人の自分自身であり、
地球に存在するすべての生命体、
動植物、人類はもう一人の自分自身である。


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2015年10月11日

      6)大宇宙と小宇宙

ある晴れた日に、自然なる山川草木、大空を心の内にいれていた。
自然を心の内に入れていると、妄想が浮き上がってきた。
この地球は生きている、地球だけでは無く、宇宙も生きているという
妄想である。
私たちが見ている宇宙が何万、何億とあり、それらが一つになって
大きな生命体となり、その生命の中で私は生きているという思いである。
大きな生き物の中に、地球も、銀河系も宇宙も生存している、
人類が住んでいる地球も生きている、

この大きな生命体を。大いなる父とも、創造主とも呼んだのであろうか。
大いなる父、創造主この言葉にはピッタリとこないのであるが、
名前は付けないほうが良いようだ。

人間の身体も小宇宙とも呼ばれている。
人間の身体のなかには60兆の細胞があるとされている。
細菌の数もいれたら天文学的な数字となるであろう。
細菌から身体の内を見ると、宇宙のように広大な空間と
見えるであろうな

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2017年5月11日

    7)真理を求めての道


真理を求めての道は、三度変わった。
真理を求めて最初のころは、
真っ直ぐに立っている螺旋階段を歩いて上がっているイメージであった。
正しさや善なることについて黙祷していると、これは前にも
壁に当たったことだ、同じことをしていると思った
螺旋階段が出てきて、階段を登っている姿が現れる。
上に登っているのだから、良いだろうと感じる部分もあったが、
本当にいいのだろうかと疑っていた自分もいた。

転機は自然を相手にして、自然を心の師として道を求め始めてから
数年後に現れた。
黙祷中に山が近くに見えた。
山の麓(ふもと)まで歩いて行き、山の上り口を見つけた。
山道を歩いて行った。
しばらく登って行くと、花が咲いている小さな広場に着いた。
しかし上に登る道が無い(この場合、後退は出来ないのです、
後ろを振り返ることも見ることも出来ない)
ここでしばらく立ち往生していた。

ある日、道が出来ていた、
山道を登って行くと、二本の道がある、
一本は登り道である、
もう一本の道は下り道である、
当然に登り道を、歩いていったが、途中から下りになっていた、
何処までも下るので、この道を歩くのは止めた。
今度は、下り道を歩いた、何処までも下り道であった。
このような事を数回繰り返していた。
道を歩いて山に登るのは不可能であると感じた。
しかしまだ、二又の道にいた。
両方の道は下りになるので、どうせ下るのなら同じだ、と
右に見える谷底に飛び込んだ。
一度目は奈落の底に落ちていった。
二度目は落ちていったが、途中 柔らかいものに当たり、浮かんでいた。
これも数回繰り返した。

道を歩くことは不可、谷底へ落ちても不可、
残る道は一つ、傾斜角度70度位はあるだろう、
山の斜面を登るしかない、何回もおちて怪我もするだろうが、
(谷底へ落ちる時は怪我すると思わなかったが、ここでは思ってしまった)
これ以外には登ることは出来ないと感じた。
何回も登り、二又の山道を克服した。

その後、大きな岩だらけで緑のない山を歩いていた。
緑が無いので大分山を登ったと実感した。
岩だらけの山を登って行くと、10メートル位はある岩が両脇にあり、
真ん中に道らしきものがあったので歩いて行く。
歩るいて行くと両脇の岩肌が少しずつ狭くなってきた。
これ以上歩くと身体が挟まって動けなくなると感じたので止めた。
何回もこの場面がでてきた。ここも垂直の岩肌を両手、両足、
を使って登り克服した。

 小さな石ころがあるところに着いた、
上に進んだ。
山の山頂に着いた。
頂上から見る風景は右も左も山々であった、
遥か彼方、前方に私が登った山より高い山があった。
私は思った、登る山を間違えたと、
今度生まれ変わったら、あの山を登ろうと。

それから数ヶ月後、あの山の頂上に、まだ居るのだろうかと、
想念したので見ることにした、

黙祷中のように足を組み、上空から山々を見下ろしていた。
登った山、それより高い山は、遥か下方になっていた。

この道を振り返ると、螺旋階段は人が作った階段である。
人が作った階段(教え)を、同じところをくるくると上がっていく。
螺旋階段の上には到着点があるか、ないか、解らない。
途中までしか登っていないので、、、

山道を歩くのは安全な道、常識的な道である。
常識的な思考では、行き止まりになり、乗り越えられないのではと推測する。


現在は
新たな道が見えている。
私の前に大型バスが二台ユックリと走っていた。
二台とも停車し、一台はバックして私の後ろに着いた。
一台は私の前で停車している。
道はどのようになっているのかと、窓から顔を出して見ると
地平線の彼方まで続く真っ直ぐで綺麗な道であった。
地平線の先には何があるのだろうか、
あのバスは何を意味しているのだろうか。

ここまで来るのに40数年経過している。

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2017年5月30日

大型バスに挟まれた、私が乗っている車は動きがとれない。
追い越す方法を思考した。
バスの右側から追い越してみた。
バスの前方にでられたが、動けない
左から追い越してみた。
前方にでることは不可であった。

バスに乗って、前に行けないかと考えた。
バスの運転手がいた、運転手に
「前に行くように指示をだす」数メートル進んだが止まってしまった。
「何故止まるのか」聞くと
「道が見えないので怖くて走れない」と言う
それでトロトロと走って止まったのだな、と納得した。
バスの運転をしたかったが、運転手はハンドルの上に
うつ伏せになって離れようとしない。
私が乗っていた小さな車(1300cc位)に、乗せたら動くのでは、
と思考してバスの乗客を乗せてみた。、
多くの人々が乗ったようだ、
車を発進させたが、少し走ると、車が重たくて動かなくなった。

どのような方法を試みても、前に進むことは不可能だった。
残された方法は、
地平線の彼方まで、歩いて行くことだった
車を捨てて、歩くことにした。
歩くスピードは予想よりも速かった。
後方を振り返ると、、いつのまにか、20数メートル後方に多数の人々が、
一列になって私の後を歩いていた。

髭の仙人は忘れていた。
私は修行者であるという自覚を、
もう一度、初心に戻り、一修行者として、道を求め歩き続ける。


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2017年7月4日

       8)  天

先日、和歌山の玉置神社にお参りに行ってきた。
拝殿前で黙祷していると
「下を見るな」
と神さまから言われた。
その言葉を聞いて、すべてが氷解した。
人が背負っている心の荷物を降ろして、少しでも楽にして上げたい。
気持ちが消えなかった。
さまざまな出来事で心が揺れ動く
これらの事は下界ばかり見ているからだと感じた。
一神教では、神さまの名前を呼んではならない、と言われている。
他の名前を付けて呼んでいるところもあるようだ。
神さまの名前を呼ぶことは、天を忘れ神さまだけを
崇め奉る(あがめたてまつる)ことなのである。

天の存在を忘れるから、宗教間の争いが起こるのである。

私は
{下を見るな}の言葉で
これからは天を相手にして、
神さま、仏さまを崇め奉りながら,
道を求めていく。

天に昇る道がある。

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2017年7月19日

    9) 我は在りて有る者なり

旧約聖書にはモーゼが、神に名前を問う場面があります。
モーゼが神に名前を聞くと
「我は在りて、有る者なり」と答えられた。

我は在りて、有る者なり、
と似た言葉が仏教にも存在している。
御釈迦さんが生まれた時に言った言葉とされているが、
御釈迦さんが悟ったときに言った言葉では無いかと推測している。
天上天下唯我独尊である。
天の上にも、天の下にも唯一我が存在し、尊いと、。

神は、     我は在りて有る者なり、と答えられて
御釈迦さんは、 天の上にも、天の下にも我が存在し、尊いと
神さまも、御釈迦さんも我が存在して、我を重ねて強調している。
神さまの、者なり、を 御釈迦さんは尊いと表現している。

例えると
人々の心の内には、善と悪がある、善のみに目覚めた心が尊いのである。
(善と表現したが、表現の仕方がないので、善とした。)
御釈迦さんは自分を尊いとは思考していなかったであろう。
自分が尊いと慢心していたならば、悟りなど得られなかったと
推測できるであろう。

一神教の神も、神さまも、御釈迦さんの仏教も元は同じである。
モーゼの問に答えて、我は在りて有る者なりと答えた神は
その後の人類がどのように変わるか見ていただろう。
しかし神の名を呼び、拝み奉るだけで、
自己から道を求めて、浄化していくことは無かった。

神は再び、御釈迦さんを通じて、人類に現れた。
人間として生まれても、悟れることはできるんだよ。
浄化していくことに励みなさいよと、
しかし御釈迦さんの教えは形骸化して、仏教という新たな宗教を生み出した。

モーゼがシナイ山で神から授かったとされる十戒がある。
十戒に記載されている文面でして良いことは、あなたの父母を敬うであり
その他の九つはしてはいけないことを述べているのです。
御釈迦さんの教えとされている、八正道や慈悲の心などは後世の人々が
記載したのではと推測している。
(御釈迦さんは自然を説いたという説が残っている、これは素晴らしい)
神、神さまは人々を愛していきなさい、感謝しなさい、
仲良くしていきなさい、とか
こうしろ、あーしろと命令的なことは言わないのである。
人々の心の中にある善なる思い(言葉は妥当ではない)
が出てくるように導いている。

天を見上げて、流れる雲に、夜空に輝く星々に、息を合わせれば、、、、


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2017年8月2日

    10) 明るい世界から、光の世界へ

人々は、何を生きる規範としているのだろう。
宗教の教えである、慈悲とか愛、神、神々、仏教の教えであろう。
それらの根本に流れているのが、明るさである。
この神を、神々を信じれば、天国にいけるよ、助かるようになるよ、
と言われると、今よりも人生が明るくなるように感じてしまう。
宗教の世界だけでは無く、日々の生活でも人々は明るさを求め続けている。
地位、名誉があれば明るくなれる。
お金があれば、明るくなれる。
自己の楽しいことだけをしていれば明るくなれる。
と人々は思考する。

苛めの問題も同じく明るさが基本となっている。
笑いながら、人を苛める、 人の嫌がることをして笑っている。
苛めるのが楽しいのである。
人の悪口を言うことによって、優越観に浸る、
明るくなることが基本となって、行為、行動している。

日本神話に天岩戸神話がある。(伊勢神宮の、神宮の神話、を参照)
天照大御神が天岩戸に隠られて、世の中が暗闇になったという物語である。
神々が相談して天照大御神を天岩戸から出すのである。
(詳しくは日本神話を)
天照大御神が岩戸から出ると、再び光と秩序を取り出すことが
できたといいます。

イエスキリストは、我は光なりと言ったと、聖書に記載されている。
明るさの前に、光が存在しているのである。
イエスキリストを信仰するもの良いが、イエスキリストの生き方、
我は光なり、の心を受け継ぐべきなのでは、
イエスキリスト,天照大御神は明るさよりも、
光に基づいた思考、行為、行動をしていたのだろう。
感情に支配される明るさより、感情に支配されない光を思考して
行為、行動することが素晴らしいのでないだろうか。
人類は明るさの世界から、光の世界へ入っていけるのだろうか。


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