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髭の仙人です。

       真理を求めて  

真理を求めて

2017年5月11日


真理を求めて、大幅に削除したが、記載して欲しいとの
要望があり、要点のみを記載することにした。




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2012年12月23日

    1) 心の道  

心の状態

心とは厄介なもので、思いはその時々で変化し、今まで楽しかったが、急に
悲しくなってしまったり、突然に意味もなく、嫌になったり、苦しくなって
しまったりと、自身の心なのに制御不可能な状態となってしまうことがある。
心を制御出来るような方法があれば、、苦しむことも、嫌になることも、
無くなるであろう。

心は、本能、感情、知性、理性、想念とで、構成されている。
その図を下に示す。

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図1は 本能、感情、知性、理性、想念、それらを囲む心がすべて丸く調和の
とれた心の状態です。

図2は 心がハート型になっている状態です
知性、理性が歪んでおり、本能と感情だけで動いているような心の状態です。
彼、彼女のことを正しく判断できない状態です。
心が丸い状態に戻ると、冷静に判断できるので、あんな人とは思わなかった、
となります。
彼、彼女の心が丸くなると、あんなに愛してくれていたのに、、と
相手の態度が冷たく感じてしまう人もいるでしょう。
もう嫌いになったの、、、、と思ってしまうでしょう。
心が丸く普通の状態になってしまっただけです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


図3の心は、イメージで自己の心を描くと、本能、感情、知性、理性、想念と
丸くなっているが、それらを心として描くと、丸くならずに、
ひし形となってしまう場合がある。
これは男性に多いだろうか、堅苦しい心の状態です。
正しさを主張すれば、角が立つの例えがあるが、心まで角が立っているのです。
この場合、自己の正しさを主張しないようにしましょう。
その正しさは自分勝手の正しさになっているので、心がひし形となっている。


NO4の図は、、本能、感情は丸いのだが、知性、理性が想念の中に入っている、
頭、本能、感情ではなく、知性だけで考えて、理詰めで責めてくる人に多い、
心や霊、神さまなど、眼に見えない物は存在しない。
存在するのであれば、見せてみろ。。。嘘ばかりついて、、、
と言う人に多い心です。

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図5の心は偉いとされている人物が言ったこと、
偉い書物に書かれてあることが絶対に正しいとして、信じ込んでいる人、
面白ければ、楽しいことであれば、人を傷つけることでも言ってしまう人、
このような人は面白い事、楽しい事が正しさなのですから、、
このような人はそれが、正しいと信じ込んでいるので、
何を言っても駄目です。
あまり相手にはしたくないですね。

NO6の心
怒りぽい心の人です、感情が理性、想念に入って想念が大きくなっている。
感情、理性が効かない状態です。
想念も大きいので思うことも多くて、感情を少しでも害すると、怒りとなって
しまう。

NO7の心
本能、感情、知性、理性、想念が下に落ちている状態です。
ウツの人、暗いことばかり思っている人に多い形です。
そのの他にもさまざまな心の歪みがあります。
今までも人々に描いてもらった事があるが、心の歪みは正直に出て
しまうようです。
どのような心であっても、心を図1のように、丸く大きくしていくと、
心は落ち着いて、安定していきます。
心は毎日の生活で歪んでくるので、少しづつ苦しくなってくるのです。

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NO8の心
知性だけが下がっているのは、頭だけで考えて落ち込んでいる心の状態
なので
「あんなこと言わなければ良かった、しなければ良かったと思い
落ち込んでいるでしょう。」と言うと
「何で解るの」との返答だった。
しかし、初心者にしては、心が円いので、私がその人の心を見ると
NO9のような心に見えたので、、このような心になっていますよ、 と心を説明した。
「知性が下がって想念の中に入り、感情も下がっているので、
先ほどの、 あんなこと言わなければ、しなければ良かったとする、
頭(知性)での 落ち込みだけでは無く、感情的にも、嫌な事があったり、
他人から嫌な顔をされたり、すると すぐに落ち込んでいるでしょう。」と

Aさんは 「凄い、、何でわかるの」、、、、
「心がそのような状態なので、その通りに言っただけです」と しかし心が
円すぎたので詳しく話を聞くことにした、、、
「大空に向かって心を描いてみる」
「空に向かってしたら、心が小さいです」
「どの位の大きさ」
手の指で大きさを表した 500円硬貨、ぐらいの大きさであった。
納得した。 心が小さいので、円くなって見えていたのです、
仙人は、Aさんの心を大きく見たので、 歪みが大きく
見えたのです。
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NO10 の心は 本能、感情、知性、理性は良いのだが想念が大きい場合
は、 考えること、思うことが多いのです、 考えなくとも、思わないで
良いことまで、細かく(こまかく)思って しまい、、疲れてしまいます。
この場合、、、 想念の大きさはそのままにして、本能、感情、知性、理性を
大きくしていきましょう。 心は歪んでも良いでしょう。 元々、、、
歪んでいるでしょう、、、、それ以上、歪むことは ないでしょう。。。
心を大きくして、、、、 心が大きく描けるようになると、少しくらいの
事は思い考えなくなって います




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    2) 心が丸く大きくなると

私は図に記載された心を、いまから30年程前に、実行している。
仕事が終ってから、生駒山の中腹に登って、地平線の彼方にイメージで、
本能、感情、知性、理性、想念と円を描き、その円を取り囲むように
心と思いながら、円を書くのである。
始めの頃は、心を小さくしか描けなかった。
丸ければ良いのだが、、歪むことが多くて何回、描いても歪んだままで
あった。
何日も続けていると丸くはなったが、、、
ある程度、心が丸くなってくると、地平線の彼方では無く、地球の大気圏の
先に意識を飛ばして、宇宙に心を描くようになってきた、
半年以上、心を丸く大きくすることに熱中した。
心が宇宙大に広がると、毎日が嬉しくて仕方がない、
心が喜んでいるような心境だったのです。

イメージで地平線の彼方に、、、大空に向かってでも良い、
自分の心がどのような心になるか、描いて見たら、正直な心の状態が
現れるであろう。

心が小さく、歪んでいても、無理に治そうとせずに、何回も描いていると、
少しづつ修正されてきます。
本能、感情、知性、理性、想念の一つだけが大きいと、丸くするために
大きいのを小さくしょうとしてはならない
心が小さくなるだけです、他の部分も大きくなるように描いて下さい

心を丸く描こうとして、小さく描かないで(小さく描くと丸くはなるが)
心は小さくなってしまいます、歪んでも良いです、大きく何回も描く
ことが肝要です。

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2014年4月5日

   3)本来の自分自身に戻る

自分を愛して生きなさいという教えは、昔からあったようだが、、
忘却されているのは、自分を愛することが、自己愛のようにに感じて、自分のことばかり
考えているように感じてしまうからであろう。
その通りである。

自分というのは、人と較べての自分であり、この世だけの考え方である。
人より上になりたい、、人に負けたくない、人から愛されたい、
人を愛したい、人より裕福になりたい、等々
人を相手にして、他の人々を目標にして、他の人と自分とを較べて
周りに振り回されて、自分は生きている。
自分は他の人や物質を相手にして思考しているのである。
表面的なことばかりを見て、聞いて判断しているのが自分である。
自分を愛する、自分を明るく、自分が根底にあって思考するのは
自己愛なのです。
自分が大切なのではない。
自分自身が大切なのです。

ある人に質問した。
「自分は仕事に関してどう考えている」と
「仕事でミスをしない事です」と答えた。
再度 質問した。
「自分自身は仕事に関してどう考えている」と
しばらくの沈黙のあとで
「チームワークが大切です」と

自分はと問うと、自分はミスをしないようにと、自分の事だけを考えている。
自分自身はと問うと、チームワークが大切ですと全体の事を考えていますね。

既婚者の女性に主人の事を尋ねた。
主人に対して
「自分はどのように考えているの」、、、と
「主人の事はどうでも良いが、健康でいて欲しい」、、と
もう一度 質問した
「主人に対して自分自身の考えは」、、、と
彼女もしばらくの沈黙のあとに
「結婚は契約なので、主人が死ぬまで私が面倒をみる」、、、と

貴方も自分の思考と自分自身の思考を較べて下さい
違う思考がでてくるでしょう。
自分より自分自身の思考が良いことに気づくことでしょう。


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2014年9月13日

     4) 呼吸について。

浅い呼吸をしている人は、思うことが多い。
細く呼吸している人は、緊張している。
お腹で呼吸している人は、落ち込み易い。
腹式、丹田呼吸が推薦されているようだが、、
お腹に肺は無いですよ。
呼吸は肺でします、胸でします
赤ちゃん、子供の呼吸は胸でしているでしょう。
肺で呼吸するように、なっているのだが、
大人になるにつれて、お腹での呼吸と変化している。
お腹で呼吸するにつれて、苦しいこと、嫌なこと、思うこと、
が多くなっていく。

嫌だったことを、思いだして下さい。
嫌なことを思いだしたら、呼吸を観察して下さい。
呼吸を短い時間単位でしていることに気がつかれるでしょう。
吸う、吐く、呼吸の波が静かになるように、呼吸を整える。


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2016年5月6日

       5) 本当の自分

ある日の事である。
事務所の2階で、大空に浮かぶ雲を見つめていると、
雲も生きている。
宇宙も生きているとする妄想をした。
それから数日後、宇宙の果てには何が、見えるのだろうかと
見ていると、何回見ても、自分の姿が見えてしまうのである。
(このような事を2015年の10月に記載したが、この文を読んだ人からだろう。
「我は神なり」と言う想念(生霊)がポンポンと飛んできたので、
即刻に削除した。)
再度、説明し記載しよう。
宇宙が自分の姿として見えたから、上記に記載している意味では無い。
 自然を求めて自然に同化し、
宇宙を求めて、宇宙に同化して、
最後に自分を発見したと言うことなのです
本当の自分を見つけたと言うことだけです。

今の自分は何ですか。
今の自分は人々に物質に、善と悪に、世の中に、振り回され、
心が乱れて、苦しくて仕方ないのが、今の貴方なのです。

本当の自分を探し、本来の自分に戻ることが、人生の根本である。
しかし最初から自分探しをしても無理であろうな、
答えだけが解っても、それを解く、数式、方法が解らないので、
本来の自分に到達できない。
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この宇宙にいる自分自身に善い思いをだしていると、
宇宙も自分自身であり、地球も、もう一人の自分自身であり、
地球に存在するすべての生命体、
動植物、人類はもう一人の自分自身である。


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2015年10月11日

      6)大宇宙と小宇宙

ある晴れた日に、自然なる山川草木、大空を心の内にいれていた。
自然を心の内に入れていると、妄想が浮き上がってきた。
この地球は生きている、地球だけでは無く、宇宙も生きているという
妄想である。
私たちが見ている宇宙が何万、何億とあり、それらが一つになって
大きな生命体となり、その生命の中で私は生きているという思いである。
大きな生き物の中に、地球も、銀河系も宇宙も生存している、
人類が住んでいる地球も生きている、

この大きな生命体を。大いなる父とも、創造主とも呼んだのであろうか。
大いなる父、創造主この言葉にはピッタリとこないのであるが、
名前は付けないほうが良いようだ。

人間の身体も小宇宙とも呼ばれている。
人間の身体のなかには60兆の細胞があるとされている。
細菌の数もいれたら天文学的な数字となるであろう。
細菌から身体の内を見ると、宇宙のように広大な空間と
見えるであろうな

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2017年5月11日

    7)真理を求めての道


真理を求めての道は、三度変わった。
真理を求めて最初のころは、
真っ直ぐに立っている螺旋階段を歩いて上がっているイメージであった。
正しさや善なることについて黙祷していると、これは前にも
壁に当たったことだ、同じことをしていると思った
螺旋階段が出てきて、階段を登っている姿が現れる。
上に登っているのだから、良いだろうと感じる部分もあったが、
本当にいいのだろうかと疑っていた自分もいた。

転機は自然を相手にして、自然を心の師として道を求め始めてから
数年後に現れた。
黙祷中に山が近くに見えた。
山の麓(ふもと)まで歩いて行き、山の上り口を見つけた。
山道を歩いて行った。
しばらく登って行くと、花が咲いている小さな広場に着いた。
しかし上に登る道が無い(この場合、後退は出来ないのです、
後ろを振り返ることも見ることも出来ない)
ここでしばらく立ち往生していた。

ある日、道が出来ていた、
山道を登って行くと、二本の道がある、
一本は登り道である、
もう一本の道は下り道である、
当然に登り道を、歩いていったが、途中から下りになっていた、
何処までも下るので、この道を歩くのは止めた。
今度は、下り道を歩いた、何処までも下り道であった。
このような事を数回繰り返していた。
道を歩いて山に登るのは不可能であると感じた。
しかしまだ、二又の道にいた。
両方の道は下りになるので、どうせ下るのなら同じだ、と
右に見える谷底に飛び込んだ。
一度目は奈落の底に落ちていった。
二度目は落ちていったが、途中 柔らかいものに当たり、浮かんでいた。
これも数回繰り返した。

道を歩くことは不可、谷底へ落ちても不可、
残る道は一つ、傾斜角度70度位はあるだろう、
山の斜面を登るしかない、何回もおちて怪我もするだろうが、
(谷底へ落ちる時は怪我すると思わなかったが、ここでは思ってしまった)
これ以外には登ることは出来ないと感じた。
何回も登り、二又の山道を克服した。

その後、大きな岩だらけで緑のない山を歩いていた。
緑が無いので大分山を登ったと実感した。
岩だらけの山を登って行くと、10メートル位はある岩が両脇にあり、
真ん中に道らしきものがあったので歩いて行く。
歩るいて行くと両脇の岩肌が少しずつ狭くなってきた。
これ以上歩くと身体が挟まって動けなくなると感じたので止めた。
何回もこの場面がでてきた。ここも垂直の岩肌を両手、両足、
を使って登り克服した。

 小さな石ころがあるところに着いた、
上に進んだ。
山の山頂に着いた。
頂上から見る風景は右も左も山々であった、
遥か彼方、前方に私が登った山より高い山があった。
私は思った、登る山を間違えたと、
今度生まれ変わったら、あの山を登ろうと。

それから数ヶ月後、あの山の頂上に、まだ居るのだろうかと、
想念したので見ることにした、

黙祷中のように足を組み、上空から山々を見下ろしていた。
登った山、それより高い山は、遥か下方になっていた。

この道を振り返ると、螺旋階段は人が作った階段である。
人が作った階段(教え)を、同じところをくるくると上がっていく。
螺旋階段の上には到着点があるか、ないか、解らない。
途中までしか登っていないので、、、

山道を歩くのは安全な道、常識的な道である。
常識的な思考では、行き止まりになり、乗り越えられないのではと推測する。


現在は
新たな道が見えている。
私の前に大型バスが二台ユックリと走っていた。
二台とも停車し、一台はバックして私の後ろに着いた。
一台は私の前で停車している。
道はどのようになっているのかと、窓から顔を出して見ると
地平線の彼方まで続く真っ直ぐで綺麗な道であった。
地平線の先には何があるのだろうか、
あのバスは何を意味しているのだろうか。

ここまで来るのに40数年経過している。

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2017年5月30日

大型バスに挟まれた、私が乗っている車は動きがとれない。
追い越す方法を思考した。
バスの右側から追い越してみた。
バスの前方にでられたが、動けない
左から追い越してみた。
前方にでることは不可であった。

バスに乗って、前に行けないかと考えた。
バスの運転手がいた、運転手に
「前に行くように指示をだす」数メートル進んだが止まってしまった。
「何故止まるのか」聞くと
「道が見えないので怖くて走れない」と言う
それでトロトロと走って止まったのだな、と納得した。
バスの運転をしたかったが、運転手はハンドルの上に
うつ伏せになって離れようとしない。
私が乗っていた小さな車(1300cc位)に、乗せたら動くのでは、
と思考してバスの乗客を乗せてみた。、
多くの人々が乗ったようだ、
車を発進させたが、少し走ると、車が重たくて動かなくなった。

どのような方法を試みても、前に進むことは不可能だった。
残された方法は、
地平線の彼方まで、歩いて行くことだった
車を捨てて、歩くことにした。
歩くスピードは予想よりも速かった。
後方を振り返ると、、いつのまにか、20数メートル後方に多数の人々が、
一列になって私の後を歩いていた。

髭の仙人は忘れていた。
私は修行者であるという自覚を、
もう一度、初心に戻り、一修行者として、道を求め歩き続ける。


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2017年7月4日

       8)  天

先日、和歌山の玉置神社にお参りに行ってきた。
拝殿前で黙祷していると
「下を見るな」
と神さまから言われた。
その言葉を聞いて、すべてが氷解した。
人が背負っている心の荷物を降ろして、少しでも楽にして上げたい。
気持ちが消えなかった。
さまざまな出来事で心が揺れ動く
これらの事は下界ばかり見ているからだと感じた。
一神教では、神さまの名前を呼んではならない、と言われている。
他の名前を付けて呼んでいるところもあるようだ。
神さまの名前を呼ぶことは、天を忘れ神さまだけを
崇め奉る(あがめたてまつる)ことなのである。

天の存在を忘れるから、宗教間の争いが起こるのである。

私は
{下を見るな}の言葉で
これからは天を相手にして、
神さま、仏さまを崇め奉りながら,
道を求めていく。

天に昇る道がある。

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2017年7月19日

    9) 我は在りて有る者なり

旧約聖書にはモーゼが、神に名前を問う場面があります。
モーゼが神に名前を聞くと
「我は在りて、有る者なり」と答えられた。

我は在りて、有る者なり、
と似た言葉が仏教にも存在している。
御釈迦さんが生まれた時に言った言葉とされているが、
御釈迦さんが悟ったときに言った言葉では無いかと推測している。
天上天下唯我独尊である。
天の上にも、天の下にも唯一我が存在し、尊いと、。

神は、     我は在りて有る者なり、と答えられて
御釈迦さんは、 天の上にも、天の下にも我が存在し、尊いと
神さまも、御釈迦さんも我が存在して、我を重ねて強調している。
神さまの、者なり、を 御釈迦さんは尊いと表現している。

例えると
人々の心の内には、善と悪がある、善のみに目覚めた心が尊いのである。
(善と表現したが、表現の仕方がないので、善とした。)
御釈迦さんは自分を尊いとは思考していなかったであろう。
自分が尊いと慢心していたならば、悟りなど得られなかったと
推測できるであろう。

一神教の神も、神さまも、御釈迦さんの仏教も元は同じである。
モーゼの問に答えて、我は在りて有る者なりと答えた神は
その後の人類がどのように変わるか見ていただろう。
しかし神の名を呼び、拝み奉るだけで、
自己から道を求めて、浄化していくことは無かった。

神は再び、御釈迦さんを通じて、人類に現れた。
人間として生まれても、悟れることはできるんだよ。
浄化していくことに励みなさいよと、
しかし御釈迦さんの教えは形骸化して、仏教という新たな宗教を生み出した。

モーゼがシナイ山で神から授かったとされる十戒がある。
十戒に記載されている文面でして良いことは、あなたの父母を敬うであり
その他の九つはしてはいけないことを述べているのです。
御釈迦さんの教えとされている、八正道や慈悲の心などは後世の人々が
記載したのではと推測している。
(御釈迦さんは自然を説いたという説が残っている、これは素晴らしい)
神、神さまは人々を愛していきなさい、感謝しなさい、
仲良くしていきなさい、とか
こうしろ、あーしろと命令的なことは言わないのである。
人々の心の中にある善なる思い(言葉は妥当ではない)
が出てくるように導いている。

天を見上げて、流れる雲に、夜空に輝く星々に、息を合わせれば、、、、


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2017年8月2日

    10) 明るい世界から、光の世界へ

人々は、何を生きる規範としているのだろう。
宗教の教えである、慈悲とか愛、神、神々、仏教の教えであろう。
それらの根本に流れているのが、明るさである。
この神を、神々を信じれば、天国にいけるよ、助かるようになるよ、
と言われると、今よりも人生が明るくなるように感じてしまう。
宗教の世界だけでは無く、日々の生活でも人々は明るさを求め続けている。
地位、名誉があれば明るくなれる。
お金があれば、明るくなれる。
自己の楽しいことだけをしていれば明るくなれる。
と人々は思考する。

苛めの問題も同じく明るさが基本となっている。
笑いながら、人を苛める、 人の嫌がることをして笑っている。
苛めるのが楽しいのである。
人の悪口を言うことによって、優越観に浸る、
明るくなることが基本となって、行為、行動している。

日本神話に天岩戸神話がある。(伊勢神宮の、神宮の神話、を参照)
天照大御神が天岩戸に隠られて、世の中が暗闇になったという物語である。
神々が相談して天照大御神を天岩戸から出すのである。
(詳しくは日本神話を)
天照大御神が岩戸から出ると、再び光と秩序を取り出すことが
できたといいます。

イエスキリストは、我は光なりと言ったと、聖書に記載されている。
明るさの前に、光が存在しているのである。
イエスキリストを信仰するもの良いが、イエスキリストの生き方、
我は光なり、の心を受け継ぐべきなのでは、
イエスキリスト,天照大御神は明るさよりも、
光に基づいた思考、行為、行動をしていたのだろう。
感情に支配される明るさより、感情に支配されない光を思考して
行為、行動することが素晴らしいのでないだろうか。
人類は明るさの世界から、光の世界へ入っていけるのだろうか。


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2017年11月22日

      11)悟り、大悟

本年10月に山籠もりをしたのであるが、
山籠もりをする前日に、事務所の神棚の前で、神さまに
山籠もりに明日から出発しますと報告した。
神さまは「悟ってこい」と言われた。
枚岡神社の神さまにも山籠もりに行きますと報告した
「大悟せよ」と言われた。
悟り、大悟と言われたことは軽く聞き流していた。
山籠もりが終わって大阪に戻って数日後、
事務所の神さまに問いた。
「悟っているでしょうか」と
「悟っておる」と言われた。
その言葉を聞いて、何を悟ったのだろうかと、私は理解できなかった。
枚岡神社の神さまにも問うと
「大悟せよ」と前回と同じ言葉だった。

天についての黙祷をするようになった。
後日、枚岡神社で天についての黙祷をしていると
「大悟しておる」との言葉が聞こえた・
理解した、あの世の世界についての黙祷が悟りであり
天の道を歩むことが大悟である、と言うことを

不思議である、悟り、大悟したと言われたが
実感が無い、心は持っているのだが
感動も喜びも嬉しい気持ちも無い。
あの世と天の道を歩むことしか思考していないのである。

この件で、考えたことは、神さまは悟っており、
大悟していると言うこと。
神さま(御魂)の導きがあったから、ここまで来れたのである。
この道を何処までも歩き続けることが、神さまへの恩返しであろうと
考えている。

この悟り、大悟については、正直に言って記載する気は
無かったのである、
悟り、大悟したようなことを記載すると、
人々から嘘とか、偉そうにとか、生意気なとか、自己満足だろうとか
批判されるのが常である。

神さまから
「書きなさい」と指示されたので記載した。



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2018年2月24日

          12) その後


昨年の10月後半だっただろうか。
黙とうであの世の高い階層に行ってきた。
あの世からこの世に戻り黙とうしていると、
小雨が降るように、光の粒子が頭の上から降り注いでいる。
心地良かったのでしばらく光の粒子を受けていた

光の粒子を受けてから思考したことは、
光の粒子が降り注ぐのであれば、光の世界は存在すると確信した。
しかし今の段階では魂(心と身体)が光の世界にいくには、
重たく、汚れていると感じたのである。
もう一度、初心に戻って、捨てる、捨てるをして心と身体の重たい
自身の意識、人々から受けた意識を捨てていったのである。
人から受けた意識を捨てていると、
私の人生は自分の思考で動いていたと信じていたが、
他の人からの意識を受けて、ロボットのように、
動かされていたことに気づいたのである。
     
ある人の事であるが
買い物、道を歩いていても、人と眼が合うと、相手の人は、
目を背けてその後、キツイ眼で振り返って睨んでくる。
彼女はそのことで悩んでいた。
私はキツイのであろうか、私が悪いのか、、
何故と自問自答をしていた。
彼女を見る限り、キツイ性格の人には見えなかった。
本人のキツイ思いを、捨てて、
他の人から受けたキツイ意識を捨てていると、
人から受けたキツイ思考が出てくる、出てくる。
他の人から受けたキツイ意識も捨てるように指導した。
その後、他の人と眼があって、この人は睨んでくると感じても、
眼をそらすだけで。。睨んではこなくなった、皆無となったのである。

人々から受けた思考を捨てて、
現在は眼耳鼻舌身意、の六根を清浄するための黙祷をしている。
例えば舌とは、食べ物を味わう舌の事であるが、
舌を口として浄めている。
ある人の口を浄めていると
お腹が満腹でも、他の人が楽しそうに食べていると
あれも食べたいと欲している場面が現れる。
言葉は発するのも口である、
自分が話をしたい、楽しくなりたいから言葉を発している場合が
多いのである。
すべて自分の都合で話をしているだけである。
髭の仙人も人々を苦しみから救って上げたい
(頼まれてもいないのに)と考えていたが、
自分が、指導して口を楽しくしたいから、
善人ぶって、考えていただけだと思い知った

鼻を浄めていると、態度が大きいときは鼻の穴が大きく開いて
見える。
偉そうにしている時は、鼻の上部が高くなって見えてくる。
鼻を浄化するには偉そう、態度大きい、自意識過剰等々を浄化している。

人々から受けた思念を捨て,六根を浄めていると、
魂が浄まってきたのだろうか、
今まで分からなかったことの解答が出てきた。

若いころ(40年程前)出雲地方の神社で神さまから、
七福神の一人である、大国さんが持っている帽子、宝の入った袋、
打ち出の小槌を貰ったのであるが使い道が解らなかった。

(帽子、宝袋、打ち出の小槌を貰ったことを、話をすると、
ある人が、この人は反対に貰っているなーと言われたと語る
本来は打ち出の小槌、宝袋、帽子の順だそうだ。
髭の仙人は帽子が恰好良いように見えていたので、小槌を貰っても
使い道が解らないので小槌より帽子が欲しいと言ったのである
そして行く度に宝袋、打ち出の小槌と貰った。)

上記の話から、大国さんから打ち出の小槌、宝袋、帽子を貰った人も
いるのであろう。

今から数年前、これも出雲地方の神社で、
神さまから「幸を授けよう」と小さな鈴を貰った
(両方とも霊的なものである)
この鈴は事務所の神棚に飾っている。
この使い道が解らなかったのである。
自分の為に、鈴を振っても、小槌を打っても、
何かなーと釈然としなかった。

これは人の為に使うものだったのです。
人の為に、幸が授かるように鈴を鳴らし、
人の為に、福が授かるように打ち出の小槌、を振る。
数人の人に鈴を振ってみると、頭の上から何かが入っていく。
打ち出の小槌、を打つと、やはり何かが入っていく。
試しに私に振ってもらった。
鈴を振ってもらっている時は、身体全身の余分な力が抜けていく感覚だった。
打ち出の小槌、で打ってもらうと
身体全身に力が漲(みなぎ)ってくる感覚だった。

これからは捨てる、捨てるで魂を浄めながら
神さまのように、人々に分からないように、
鈴を鳴らして人々に幸を授け。
小槌を振って、福を授け、
人々の幸と福を祈りながら生きていく。


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2018年3月29日

       13)人生の悟りとは

今から2500年程前、お釈迦さんが、人生を悟って法を説き
お釈迦さんの説いた法が仏法となり、インドから各国を経由して
日本に伝わり仏教となった。

お釈迦さんの悟った、悟りはどのようなものか、
2500年も前の話なので、定義がないのである。
悟りはこうだろうというイメージだけであろう。
静かで思う事もなく、無我に近い状況が悟りというイメージであろう


六根清浄をしてきたが、六根、身体を浄めると
肉体という制約から魂が解放され自由と、生命の躍動感を得られ
光り輝く、


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若い頃、瞑想していると、あの世の自然の緑がみえた。
あの世の緑は強く、美しく、生命が躍動していた。
あの世の緑の生き方に、少しは近づいたかな。


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 2018年7月2日

       14) 真理は存在した

71年間の人生で受けた、五感六根。眼、耳、鼻、舌、
身,意にこびり付いた穢れ(けがれ)を祓い清めた。
自分の思いだけではなく、人々から受けた暗い思い、
想念、意識も祓い清めた。
祓い清めていると、真理が姿を現した・
24歳から精神世界に入り、精神的な真理、本当のことを、
真実を知りたいと欲してきたが、やっと知り得た。
真理は存在したと、伝えよう。
人々が思い、想念する真理は、感謝や愛、正しさ。守護霊、
神さま、神、大宇宙、、天、光、等々をイメージするであろうが、
そのようなものは真理から派生したものであり、真理そのものでは無い。

旧約聖書で神がモーゼに十戒を授けた。
モーゼは問いた。
「あなたの御名は」と
神は答えられた。
「我は在りて有るものなり」と

仏教の開祖であるお釈迦さんは
「天上天下唯我独尊」と言われたことが記載されている。
この二つの言葉は、オブラートに包んで真理を述べている。

髭の仙人が真理を簡単に、上記に真似て語るならば
「私と共に在りて、存在するものなり、」となる。

この世の肉体を持ったまま あの世の世界にいけるのが悟りであり
この世の肉体を持ったまま、天に登っていけるのが大悟である
(天高く登ると、光の世界が存在していた。光の世界に入ると
身体が光と同化して姿が見えなくなる現象がある。)
真理も会得した。

精神世界の長い旅もこれで終わった。

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天上天下唯我独尊の意味をサイトで調べると
自分は偉いと一人思い上がるというような意味での解釈
その他の意味の解釈もあり、一定していないようだ。
髭の仙人が解釈すると
天上(あの世)天下(この世)どちらの世界にいても、
我,存在し(唯我)一つ尊いものがある(独尊)
我、天国にいこうとも。天から下に落ちようとも、尊き(真理)
ものがある。
というような意味でお釈迦さんは述べたのではないだろうか。

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お釈迦さんが生まれて、天上天下椎我独尊と言われたと経典に
記載されている。
生まれてすぐに、天上天下椎我独尊と言うのは、
素直に受け取るには無理がある
しかし尊い(真理)が理解できると,この表現方法も理解できる。
お釈迦さんは、この世に生まれた時から、
尊い(真理)を持って生まれてきている。
お釈迦さんだけではなく、人々は生まれた時から尊い(真理)を
持って生まれてきているのだよ、と
例え話を使って知らせたかったと考えられる。

この尊い(真理)は、この世に生まれた時は暗闇(くらやみ)
に閉ざされている。
お釈迦さんは7年の苦行をしたが、暗闇から抜け出すことは出来なかった。
7年の苦行で身体は痩せこけて、骨と皮だけになり、
いつ死が訪れても不思議ではない状態だったと推測される。

ある日。娘さんから飲んで下さいと牛乳を施された。
苦行者にとって、牛乳は飲んではならない物だった。
お釈迦さんは牛乳を貰って飲んだ、
お釈迦さんは、感じただろう、
あの娘さんの、優しさ、暖かい気持、真心を受けて、
お釈迦さんの心に変化が起きたと推測される。

その後お釈迦さんは苦行を止めて。7日間の瞑想に入る。
瞑想中に悪魔が出てきて、世界の王にして上げよう。
世界の金銀財宝を与えよう。
女性たちも誘惑したが、退けて悟りを開いたとされている。

世界の王に、世界の金銀財宝、多くの女を手に入れたいとする
思いは、穢れである。
本人にその気が無くとも、王子として生まれたので、
人々から、世界の王になって欲しい、
世界の金銀財宝を得て欲しい、
王子と一緒になりたい、王子の女になりたいとする思い、
意識、想念を受けていたとしても不思議では無い。

7日間の瞑想で、これらの穢れを、祓い浄めたので、
悟ったのではないだろうか。

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人々から受けた様々な思い、意識、想念を浄化し
真理を発見し、真理と共に生きるならば。
本来の自己に、本当の自分自身の精神状態に戻り
苦しみから解脱できて、
この世でも、あの世でも、
伸び伸びと生きていけるようになる。


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2018年11月15日

     
15)神仏の思考に近づく道

思考には二通りの思考方法がある。
大多数の人々は自分で思考し、自分の考えで人生を生きている。
自分の思考は、物事の表面だけを見ていたり、感情、本能だけで
判断してしまう傾向となってしまう。
自己中心、自己満足の考えの世界であろうか。

自分の思考方法では無く、自分自身の思考方法がある。
自分の考えよりも、自分自身の考えは心の深いところで思考できるのである。

ある日、相談に訪れた奥さんに問うたことがある。
主人に対して、
「自分の考えは」と
「病気をしないで、健康でいてくれたら」と即答した。
「自分自身の考えは」と問うと、しばらく考えていたが、
「結婚は契約だから、最後まで主人の面倒を見る」と答えた。

ある人は
仕事で悩んでいたので。
仕事に対する自分の考えはと問うと
「上司の言うことを聞いて、ミスをしないようにしたい」と答える。
自分自身の考えはと聞くと
しばらく考え込んで
「仕事の仲間と協力、協調して仕事をやりたい」と言う。
貴方も自分自身の考え方をすると、自分の考えと、自分自身の考え方の
違いがわかるであろう。

周りの人々、さまざまな情報に振り回されないように自分自身を
シッカリと持って、自分自身の考えを確定することです。

自分自身の思考は、心の奥底にある神仏(真理)と通じ合う思考となる。




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2019年9月20日

        16)心の支え



50年近く真理を、真実なものを探し求めてきた。 
真理、真実と言うよりも、心の支え、心の支柱となるものを 
探し求めていた。 
精神世界に入る前は、正しさが心の支えであった。 
正しいことを言っても、受け入れて貰えないことがあった。 
正しいことを言っているのに、何故、受け入れられないのだろうと 
常に疑問だった。 
精神世界に入ってからは、自然が心の支えとなった。 
自然の生き方を学ぼうとしてきた。 
樹木、草花のような生き方を求めてきた。 
自然は、心の支えになっていたが、 
漠然としており、ハッキリと、つかみ取ることは出来なかった。 


今年の8月から、瞑想の覧で記載されているように。
人間の殻を破らなければ、同じことの繰り返しで
今以上の進歩は無いと感じていた。
神さまに近づく黙祷、
もう一人の、自分、自分自身、についても黙祷した。もう一人の
自分は苦しんでいたので、善き思いを出して、浄めた、
あの世にいく魂。霊魂、あの世、天、神、についても
黙祷したが、心にストンと落ちることはなく、壁に当たってしまっていた、
黙祷する目的となる言葉が無くなってしまった。
諦めに近い、心境となった。
目的は持たすに、、、沈思黙考をしていた。
どれぐらい、時間が経過してのだろう、
ある言葉が心に浮かんだ。
その言葉について考えた。
あの時もこれだけをしていたな
あれも、何故あのようなことを、、、、のか少し疑問に感じていた。
黙祷しながら、これしか無いなーと、ぼんやりと、考えていた。


黙祷をするのを休んだ、
1日目、2日目、黙祷をするようにと心の声が言っている。
3日目、4日目、 黙祷をするように、心の声が段々と大きくなっていく。
5日目、6日目  心の声にに耐えられなくなって、黙祷を始めた、

この黙祷は素晴らしかった、善に対しては善を、悪に対しては悪を、
鏡のように反射するように感じている。
この黙祷をしているが、やればやるほど、深みにはまっていく。
人生で今まで、解らなかったことが二つあった。
田舎で暮らしていた頃をイメージすると
黒い塊があった。
この黒い塊の原因を探していた、
ご先祖を含め、さまざまな方向から調べたがが、原因がつかめなかった。
この黙祷を始めてから、原因が解った
想像してなかったことだった。
私が二才になる前に母は亡くなっている。
4,5才位まで田舎に住んでいたのだが、
子供同士で遊んでいて、夕方になると、子供達の母親が
ご飯だよ」と呼びにくる。
一人取り残される、
淋しい気持ちがあった。
淋しい気持ちは浄化していたのだが
淋しさが重なって、暗い気持ちが、黒く固まっていた ことに気づいた。   このような原因であると想定していなかった。
淋しさだけであろうと、考えていたのである。

もう一つは、私には人間として、
何か欠けているもの、足らないものがあると、感じていた。
それは何か、長い間の懸案事項だった。
これも解決した。
それは髭の仙人 1、真理を求めて、に記載している
3)GLAの分裂について が関係していた、
地位、名誉も無い、一青年部員が
眼に見えない存在の言葉に従ってGLAの分裂を防ぐために動いた、
誰も信用しなかった、
気が狂ったやつ、と言われるのを承知していたのだが、
人々の白い目には耐えられなかった。
地位、名誉をつけてから言え、と言った人と、数年後にあったが
あの時、言ったことは今でも正しいと言い切った。
分裂する前にGLAでは異言現象(前世の言葉を話す)があった。
仲良くしていた人が異言を話せるようになった、
すると態度が豹変した、
態度も大柄になり、上から目線で偉そうに話しをする。
ある日、何かの申し込みで、俺も申し込むはと頼むと
名前はと聞きやがる。
ムカーとしながらも、大人の対応で佐原ですと伝えた。
人間て、あれほど変われるのだと。。。。
そのようなことがあり
私は人間不信になっていたことに気づいた。
人間不信を浄化すると、心が一気に軽くなった。
GLAの悪口を書いたようだが、
「何も心配することは無い」と
眼に見えない存在から言われている。
この黙祷の言葉は眼に見えない存在から、「ここには記載しないように」言われている。
このサイトにはすでに記載されている。
記載されていることを述べるのは許されている。
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今年の8月のお盆休みを利用して、山籠もりをした。
帰りに神社で山籠もりが無事に終わった報告をしていると
「秋に来い」と言われた。
秋にも山籠もりせよと言うことだと感じたので
「はい、秋にも来ます」と答えた。
心の重たいものが取れたので。
秋の山籠もりは、楽しみである。

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心が美しいのか、汚れているのか、
判別する方法がある。
心が美しい人、心を浄めている人は眼も綺麗なのである。
「私は心が綺麗よ、」と言う人がいれば眼を見て
判断すれば良いですよ。
眼は心の窓と言うように、眼は口ほどものを言うとあるように
眼に心の姿が現れる。
若いころ、神社にお参りしていると眼が綺麗になっていた、
眼が汚れていると、先生眼が汚れているけど大丈夫と心配されていた。
綺麗な眼と言われていたが、いつの頃か、不思議な眼と言われだした。
最近は人間の眼で無いと言われることがある。
綺麗な眼を持ったまま、精進していると 綺麗な眼に深みが現れる。、
電車に乗って人々の眼を見ると、若い子は眼が綺麗な人が多いが、
眼に深みが出ている人は皆無に近いのではないだろうか。
社会人となると眼が濁っていたり、汚れている人々が多くなる。
眼を見て人々を判断することです。


この眼については、
眼に見えない存在から
記載するように強く言われたので。掲載した。



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2019年10月21日
これは山中で記した文章である。

       
17) 天の国

人里を遠く離れ、山高く山深くに籠り、日中は山川草木、
流れる雲を友とし、夜は星空を眺め宇宙を想い、
胸一杯にに森羅万象の空気を吸い込めば、
心身は浄まり、天の国は眼前となった。

天の国が眼前となると、我が身は穢く(きたなく)、汚れていることを
実感した、入れない、六根清浄のやり直しである。
今までの清浄の仕方ではこれ以上、浄めるのは無理なので
頭、心。胸呼吸を利用した黙祷で浄めている。

頭、心。胸呼吸、、一体と成った黙祷をしていると、本能と感情
で物事を判断していることが多いことに気が付いた。
頭も使わず、胸呼吸よりも楽な腹式呼吸ばかりしていたので、
天の国に入れないのは当然の理である。
頭、心。胸呼吸で心身を浄めると

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    例えば、正しさを浄化とする。

第一段階は正しさで、人を批判、中傷、責める。
堅苦しい人となってしまう。
自分で自由な心を縛りつけてしまう。

第二段階は正しさには、
冷たいものが流れていると気がつく。
冷たい行為をしてしまう。
この一、二の正しさの判断は本能、感情
の心だけで、頭、胸呼吸を使っていない。

第三段階に正しさを昇華させると、冷たいものが、暖かさに変化する。
暖かい気持ちになってくると許せる気持ちにも生じる。
正しさの本来の姿は、暖かさである。

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無我の境地も、黙祷した、
無我の境地とは
一つの目的に向かって邁進し、目的を達成させる以外のことは、
眼中に入らないことを言う。
高校野球で無我の勝利と称えるが、彼らも一つのボール球
の動きに集中して、他のことは眼に入っていないであろう、
仕事の成功だけを考えて、集中している人々も無我であろう、
何か一つのことに全身全霊で没頭、集中し活動的な人々を
無我の境地という。
無我の境地で物事を、達成せんと
欲するならば成功の確率は高まるであろう。

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2019年10月24日

       
 18) 感謝と愛

感謝を浄化していくと愛に変化する。
人を愛することは楽しみとなるが、
楽しみも月日が経過すると、どんよりした苦しみ、落ち込みとなり、
愛が消えてしまう結果となる。
愛の意識は強い、強い意識を人に出すので、
愛の意識を受けとる方は重荷となる。

人々に愛の意識を出すのではなく、
人々に好意、好感を抱くほうが、愛よりも良いですよ。

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2019年11月14日

この世で生きることは苦しいですね。
苦しみの闇に沈んでいる人々は言う。
心が無ければ良いのにと、
心が無ければ良い、、、、
良いところに気が付いているのだが、
それ以上の進展が無い。
心を無くした状態となり、呼吸では無く、
息をして生きているだけの人生となる。

人々は心で思考しているつもりだが、思考の仕方を
観察すると、胸の下、溝内(みぞうち)辺りから
お腹で思考しているのである。
このような人々の大部分は腹式呼吸をしている。
意識が下に落ち込んでいるので嫌な事、苦しい事、
暗い事ばかり思考してしまう。
胸を基本として、胸より上を意識することです。

髭の仙人は、胸呼吸をしながら、頭で思い考えている。
頭を意識して、善なる言葉を頭で思考するように人々を指導している、
頭の重たい人。頭を脳を使っていないでしょう。
頭を使わなければ脳も退歩しますよ、頭も使ってあげなさいよ。

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. 天の国は、瞑想のページに移動しました。
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2021年7月31日

            
19) 神道と仏教

仏教での教えは、無、無我、安らぎ等であるが、
無の世界、無我の世界で、安らぎで何ができるのであろうか、
髭の仙人も若いころ、無我の境地に至ったことがあるが、
精神的にはスッキリとしているのだが、
息をしているだけで、自分の意志が無くなっていた。

神、神さまの世界では、人々を助けることに主眼を置いている。
アブラハムは神の言葉を信じて、神との約束を守った。
モーゼも多くの人々を助けるために安息の地を求めて旅をした。
イエスキリストも人々を救うために活動したとされている。
人々を救った者が神さまとして祀られている例もあるだろう。
神の世界では世のため、人の為に動くことが、良しとされている。
無、無我、安らぎを求めるのと、世のため、人を助ける為に動くのと
どちらが良いか、は貴方が決めること。

自分の出来る範囲内で人を助けるのですよ。
道端で困っている人を見たら、大丈夫ですかと声をかけるだけでも
人助けですから。
善き思念を出すだけでも、世の為、人の為になっているのです。

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2022年4月10日

          
20) 心を丸く大きく

この世は修行の世界であると、言います。
修行は、この世だけでは無く、あの世、天の世界でも、、
少しでも高い世界に昇るための修行の世界であろ、
修行は、この世でも、あの世、天の世界でも。永遠に続く。

修行で連想するのは、山の中を駆け巡ったり、
滝行、等の肉体行であろうか、
肉体行で悟り、大悟、自己の心を知ることは不可能かと、思考している。

この世で、偉い人は、愛が大切、愛が一番と説く。
愛の行為、行動をするのは人である。
心の状態は人によって違う。
心の状態とは、このサイト髭の仙人 2)真理を求めて
1)心の道  に記載されている。

愛と思って、行為しても、小さな親切、大きなお世話(迷惑)と
なってしまう事もあるだろう。
こんなにも、愛しているのに、解って貰えない、
ストーカー行為も愛が存在している場合だってあると考ている。
愛が存在していても、愛に対して心が小さく歪んでいるから、
ストーカー行為となってしまうのであろう。
心が理解できていないから、根本が解っていないから
愛が一番良いと、説けれるのであろうか。
正しさで、小さなこと、細かいことを正論として語る者も
心は小さいのであろうな。
過去の事件を思い出したく無いのに思い出してしまう、
その事件は貴方の、心を小さく歪ましているのである。

心を丸く大きく、 するのは過去の出来事だけでは無い。
感謝にしても愛にたいしても、大部分の人々は
心が小さく歪んでいるでしょう。
感謝に対しても、愛に対しても、その他の善なる言葉に
対しても。心を丸く大きく、していくことです。
平和を願っていても心が小さく歪んでいれば、間違った判断となる。
平和に対しても、心を丸く大きくしていくのです。

髭の仙人は精神的に不調和となると、
空に向かって、心の状態を描くと、心が小さくなっていた。
心を丸く大きく描けるようになると、精神的不調和も治ってしまう
ことを幾度となく経験している。
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瞑想の仕方
心を丸く大きく、、と思いながら、さまざまな事柄を見ていく
胸が苦しくなると、深呼吸して、眼を閉じた先に、
本能、感情、知性、理性、想念、これらを包むように
心と思いながら描く
心は大きく描く、心が歪んでいるからと小さくして丸くしないことです。
歪んでいても良いですから、何回も書き直していると、少しづつ
丸く大きく、なってきます。
ある程度して心を丸く大きく、に戻り同じことを繰り返す。
心が丸く大きくなると身心が軽くなっていることに
気付かれるでしょう。


大空に地平線上に心を描くことと
眼を閉じた瞑想状態で、眼の先に心を丸く大きくすることです。
眼を開けた状態、眼を閉じた状態、両方の心を大きくする、
この世は刺激が多く、心が小さく歪みやすい世界で
常に心を丸く大きく維持していくことが修行です。
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髭の仙人も心を丸く大きくする為の、瞑想をしています。
この瞑想は永遠に続く。
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注意点
「心を丸く大きく」です、間違っても、「丸く大きな心」
と思わないように注意して下さい。

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神、神さまは、私達が想像できない位、心が丸くて大きいのだろうな。

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2022年4月11日

昨日、心を丸き大きく、サーバーに転送してから
数分後、私の仕事は終わった、、
とする想念が突然に浮かんできた。
このサイトに記載するのも、心を丸く大きくで
終わりとなる可能性が大である。

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2822年5月20日

     21) 悟り、大悟、真理

上記の瞑想をしていると、ストレスの存在に気づく。
ストレスは眼に見えず、受けていることも、解らないので、
静かに深く入り込み、精神的な不調な原因となる、

生まれてから今までの、ストレスを心身清浄していると、
自然という言葉が浮かび上がってきた。
自然の瞑想をしてえいると、若い頃、自然の心を知りたくて
北は北海道から南は九州まで、各地の自然を求めて
旅をしてきた事を思いだした。
その時は自然の心を掴み取ることはできなかったが、
今回は、自然の心を知り得た。
現在は、自然に戻る為の瞑想をしている。


日本神話に神さまの話が出てくる。
日本の神さまは、名前だけでは無く、自然の一部分を司っている、
天照大神(太陽神)  月夜見尊(月神)  植山姫神(土神)
火産霊神(火神)   大綿津見神(海神) 大山津見神(山神)
金山彦神、金山姫神(金神) 磐長姫神(岩神)  久々能智神(木神)
等々である。
日本の神さまが司ってるものを、集めると自然となる。
日本神話は物語ではなく 「心に自然」を持って生きて行きなさいと、
神々が教えて下さっているように考えている。

自然の先には、素晴らしき世界がある。
無に近いが無ではない。
自分自身の心(気持ち)はシッカリと持っている。
この世、下界からの離脱、開放との表現が適切であろうか。

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自然を相手に、、、と言っても意味が解らないだろうな、
人々は、この世的に、常識的に、自然を捉えて、
判断していると考えられる
自然の心はそのような、この世的な判断ではないですよ。
自然なる山川草木、滔々と流れる川、雲、大気、
すべてが真理に基づいて生きている。
この世的に自然を判断しないように、、、
何もしないのが自然では無い、
流れるままに生きるのが自然でも無い。
自然の心を掴み取ることです、
自然の心を掴み取ることによって、素晴らしい世界が訪れてきます。

自然を相手にして生きるのが真理に基づいた生き方です。


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> 2022年6月27日

           
22)悟り、大悟 編

悟りとは、この世に肉体を持ったまま、あの世の世界に昇れること。
大悟とは、この世に肉体を持ったまま、天の世界に昇っていけること

悟りでのあの世は、地獄(強烈な苦しみ)もあり、
上に昇ると落ち着きの階層もあるが、高い世界に昇ると、暗闇の中に
無我の世界(心も、目的も、何も無い)が存在している。
(ある日、地獄の苦しみの世界に行った、地獄から上に上がろうとすると、
ロープが一本あった、そのロープを上に登っていると、
私の下にもロープを登ってくる人がいる。
ロープを見ると私の下からロープが切れそうになっていたので
下の人に手を差し伸ばした。
彼は私の手を掴んだ、上に上げようと力を入れると、
彼は自ら掴んだ手を離した。)
あの世の人々は、自分自身の力で這い上がらなければ、ならないのだろう

天の世界での低い階層では、善なる思いが存在している世界であり、
善なる世界を上に上ると、人間としての気配が消えている世界が続く。
上に登っていくと、突然に光の世界、空の世界、天の生命が充満している
宇宙の世界となり、自分自身の姿が現れる世界となる、
この上にも、天の世界は続く。

悟り、大悟するには、心身を軽くする以外に悟りは不可能と、、、、
心身が重たければ、上に登れないのは当然であろう。
重たければ、重たい程、下に落ちていくのも当然のことだろう。
軽くなれば、上に昇り易くなるのも当然であろうか。

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人生を悟る、と言うが、人生を悟るのでは無い。
 人生の生き方を悟るのである。
-----------------------------------------------戻る
2022年8月6日

          
23)回顧録

24歳の時に精神世界に入った。
心に大きな苦しみが存在したのだ。
何故、苦しいのか理由は解らなかった。
この苦しみを無くすには宗教の教えを学ぶ以外に無いと感じた。
様々な宗教本を買い漁り、読んだ。
ある本が心に響いた。
その宗教団体に入会した。
そこでは、感謝、報恩、慈悲、愛、調和、明るさ、正しさ、中道、
と言うような良き思いを持ちなさい、という教えだった。

感謝、報恩、慈悲、愛、調和、明るさ、中道、というような
良き思いを持つようにした。
良き思いを持つようにすると、苦しみが軽減された。

  その後、事情があって、その組織から脱会した。
脱会してからは、感謝、報恩、慈悲、愛、調和、明るさ、正しさ、
中道、等の良き思いは、すべて捨て去った。
何故かって
そのような善なる思いをしても限度があると感じたからです。

一般の人々は正しさを精神的な支えとしているだろう。
私は正しさも捨てたのである。
すべての善を捨てると、心の支えが無くなる。
その頃の私は、樹木、草花に対して、声を掛けるようになった。
樹木、草花に、
お前は何を心の支えにして生きているのだ、教えてほしいと
何度も聞いていた。
しかし答えを言ってくれるはずも無い、答えてくれ無い。
自然を探し求めて放浪していた、
放浪の旅も30年以上していただろうか、
その後、悟り、大悟したが、
精神的な支え思考は、悟り、大悟では得られなかった。

後に、悟り、大悟する時に、見つけていたのだと、
確信した、
今まで自然を相手にしたり、天を相手にしたりして
生きてきたが、それは間違っていたと。

この世の98パーセントは嘘であるという事を記した
古文書があるらしいのだが、
現在の精神世界の教えは98パーセント、嘘であり、間違ったことを
教えている、
この世は98パーセント嘘である、と記した人は
人生の生き方、心に真実な思念を持っていた人であろうな、
今までの常識的な教えでは、自分自身も救えない、人々も救えない。
事に気づくようになる。
心に真実な思考を持てば、この世だけでは無く、
あの世、天の世界でも通用する。

すべて人々の内に存在し、人類だけでは無く、動物も、植物も
内に持って修行している。
鼻で空気を吸い、鼻で空気を出す、普通に呼吸している。
人々の内に存在しているもの、それは呼吸である。
苦しい人は、浅い呼吸、荒い呼吸。細い呼吸となっている、
緊張すれば、呼吸すら苦しくなって、しまう人も多い。


瞑想で額の前に、正しさという言葉を書いて正しさに対して
呼吸、呼吸と思いながら、呼吸すると、呼吸が苦しくなる人が
多いだろうな。
呼吸が苦しくなるのは、正しさに対して間違った想念が
存在しているので呼吸が苦しくなるのである、
正しさでけでは無い、300程の他の善なる言葉一つずつしていく
善なる言葉一つずつに呼吸しながら、楽に呼吸できるようにする。

善なる言葉,すべてに対して呼吸をしていくと
やればやる程、何かが軽くなっていっているのが解る、
300程の良き言葉も2回めの呼吸になると、
何かが、良くなっていると感じられる。
髭の仙人は、呼吸を相手にして生きている。

何人の人が呼吸に気付くだろうか、
神、神様、仏様、救世主、そのような常識的な事柄を望んでいるのだろう
人生の苦しみから、助けてくれる人を望んでも得られない。
自分で自分を救っていくのです、
呼吸が楽に出来るようになると、苦しみは自然と消え去る、
人生も軽く過ごせるようになる。

この世、あの世、天の世界、に存在する、すべての生命在るもの。



----------------------------------------------戻る
2022年10月20日

        24)大自然


善なる言葉を昇華させる為に、善なる言葉一つづつ、
に他の言葉も入れていった。

愛を例とする
愛という言葉を額の前に書いて、愛に対して、善なる言葉を
入れていった。
この瞑想をしていると。、善なる言葉は単体では成立しない
ことに気づく。
愛の中に感謝、明るさ、暖かい、敬い、清らか、円満、
その他の要素が必要であろう。

子供を虐待して、親は躾けをしているだけと言っている、ケースがある。
躾けの中に、優しさ、穏やかさ、思いやり。美しさ、その他の
要素も必要であろう。

正しさも同じである。正しさだけを主張すれば、堅苦しく、
頑固になってしまう。
正しさの中に他の善なる要素が欠けているからである。
善なる言葉、一つづつに入れていると、善なる言葉に
囚われ、拘りが無なくなってゆく。

上記の瞑想をしていると、愛、慈悲、平和その他の全なる言葉は
単独では成り立たない。
すべての善なる言葉が絡み合っていることに気づく。


上記の瞑想と、あの世、天、この世、宇宙、人類、社会、
に対して善き言葉を出してゆく、
善に対しても、悪に対sても、善なる言葉を一つづつ出してゆく

この後の瞑想は、全なる言葉を自己の頭、胸に入れていった。
善なる言葉250ほどを、すべて入れてゆく、瞑想を始めた。
三回目の終わり頃、後20位の言葉が残っていただろうか、
突然に「自然」と言う言葉が聞こえた。
「あーそうか、自然か」と瞬時に思った。
善なる言葉すべてを、表す言葉は「自然」だったのだ。
現在は自然を高める為の瞑想をしている。
善にも、悪にも、善き思いを出している。

コロナウイルスが増えていた頃、コロナウイルスに恐怖心を
抱いている人々が多かった。
コロナウイルスと額の前に書いて、コロナウイルスの文字に
善なる言葉を出す瞑想を指導した事があった。
コロナウイルスに対しての恐怖心は消えて無くなった、
善にも悪にも(暗い思い、嫌な思い、その他)にも
善い思いを出してゆくと、消え去る。

現在は、自然を高めるために、上記に記載したような
その時々の精神状態に合わせて瞑想をしている。
髭の仙人はこの世でも、あの世、天の世界でも
「自然」を相手にして生きていく。

50年以上、探し求めていたものは、自然だった。、
一番 身近に存在していた「自然」を探し求めていた。
自然の中にすべての、善が潜んでいる。


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2022年11月21日

          
25)祈り

天に一段と高く登るために心身を清める瞑想をして 天高く昇った
その場所は、清く、清々しく、暖かい
そのような気持ちに成ってしまう世界であった。
この世では体験出来ない世界である。
何日も瞑想して天の世界の気持ちを会得出来ないだろうかと
天の世界の気持ちを覚えて、この世に戻るが、
不可能だった。
天の空気と、下界の空気が違いすぎる。
天の空気は、清く、清々しく、暖かい、空気で、
下界の空気と異質なものである。
天の世界に昇っていくと、もう一段、高く昇れた。
そこには、大きい自分自身の姿があった、
これ以上、上には昇れないと感じた。

自分自身を見直す瞑想をしていると
「祈り」という言葉が聞こえた。
私に出来る事は、祈りしか無いのだと感じた。
現在は祈りの瞑想をしている、
「祈り」という言葉には言霊が存在している。
不思議な力が備わっている。

天、あの世、この世、宇宙。地球、地球に存在している
すべての生命、人類、人々、世の中、その他に対して
祈りをしている。

髭の仙人は、善ある言葉をICレコーダーに20秒間隔で
録音したものを聞きながら、愛ー祈り、祈りと思いながら
感謝であれば、感謝ー祈りと思いながら祈っtいる。
少しでも、人類、世の中が良くなるように、他者に対して祈りを捧げている
必ず、祈りという言葉を忘れないように、、
これからは。他者の為に善なる祈りを捧げながら生きてゆく。
この世に生まれてきた目的。やるべき事柄が解ってきた気がする。
私の出来る範囲内で、他者の為に祈り、助けられたらと考えている。

現在、コロナウイルス感染者が増加している。
少しでも感染者が減るように、コロナウイルスに
対しても祈りを捧げる、。(大阪から)

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2022年12月6日
  
     26)祈り ②

髭の仙人がしている祈りの仕方
世界中に存在している人類に対して、善なる言葉を
聞きながら安心祈り、祈りとし安全祈り、祈り、安定祈り、祈りと
祈りつづけている。
人類にある程度、祈りが入っていけば、次に宇宙をイメージして
宇宙に対して祈りを捧げていると、
圧迫感、狭い場所に閉じ込められている感覚となった、
我々は、宇宙という檻の中に閉じ込められている
籠の中の鳥のようだ。
宇宙は無限大と言われているが、精神世界では小さな檻のようだろうな、
小さな檻のなかで我々は生きているので、苦しみが生まれるのも
当然だろうか。
この圧迫感も、祈りを捧げ続けていくと、消え去った。
あの世も、天にも同じように祈りを捧げている。
この世もも宇宙もあの世も天も、お互いに影響し合っている。


コロナウイルスについて
コロナウイルスにも祈り続けている。
(前回のコロナウイルスの祈りも今頃の季節だった。
生駒山に登って祈っていたが、寒かった。
杖を持っている手が凍えそうだった。
今回は暖かい部屋の中で祈りを捧げているので、肉体的には楽になった。

地球上のコロナウイルス,、宇宙のコロナウイルス、あの世のコロナウイルス
天のコロナウイルスに祈りを捧げ、
その後に、地球上すべての人間にコロナウイルスに感染しないように健康を付け人々の健康に対して全なる言葉で祈りをしている。
宇宙、あの世、天も同じように祈りを捧げている。

コロナウイルス、大阪の地だけを祈りをしている訳ではないが、
大阪の感染者を人口10万人で何人感染しているかを見ると
47の都道府県で大阪は40番目で少ないようだ。
(2022年12月6日現在 NHK 特設サイト 新型コロナウイルスサイト参考)
コロナウイルス静かになるうように、これからも出来る
範囲内で祈りを捧げる。

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2022年12月11日

地球に存在しているすべての生命体が少しでも
健康体にに成るように祈っていると、
ストレスが浮かんできた。
健康の祈りを、ストレスに変えて、祈りをしていると、
動物が浮かんできた。
人間以上に動物の受けているストレスが多いのである。
厳しい生存競争を生きている。
私達の食べる食料となる。鶏、豚、牛肉にしても
狭い、舎に閉じ込められ、流れてくる食料を食べるだけで
育つ。ストレスも溜まるだろうな、
ストレスの溜まった肉をを我々、人間が食らう。
食べた時は、美味しくてもストレスは蓄積される。
野菜にもストレスが存在している。
何処にも動けない苦しみである。
私は今まで、ご飯を食べる時
「頂きます」とだけ言っていたが、これからは
両手を合わせて「頂きます」で肉類、野菜を食べる

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人類、人間、人、宇宙、あの世、天に対して
人々が少しでも良くなるように祈っているが
祈りをすれば、する程、私の心、気持ちが楽になっている。
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2022年12月29日
           
祈り ③

パワーハラスメント

人から受けた罵詈雑言、嫌味な言葉、、精神的な圧迫、無視、
精神的な攻撃は眼に見えないだけ厄介なものである。
会社で家庭内で、学校で受けている場はさまざまであろう。
最近それらの精神的な攻撃は。パワハラと呼ばれている。

相談に訪れてきた人を鑑定していると、
パワハラを受けていることが判明した。
パワハラに対して瞑想を指導した。
世界中の人々、パワハラを受けている人も多いであろう。
そのような人々にパラハラをしている人、受けている人、両方に
善なる言葉での祈りを捧げていった。
世界の人々の祈りが済めば、宇宙の人々(霊も含む)を祈った、
あの世、天の人々へも善なる言葉で祈りを捧げた。

その後、パワハラでの苦しみは大部分減って楽になったとの連絡。
その子供(成人)就職しているが。上司から、パラハラに近いものを
受けて、仕事を嫌がっていたが、 それからパラハラを受けなくなった
ようだ、
本人も、子供のことを祈っていないのに、子供も良くなった、
とビックリしていた。

髭の仙人は現在、バイクで自宅と事務所を通勤している、
ある日、一旦停止をしないで角を曲がってしまった、
曲がった先には警官がいた、しまったと思ったが良く見ると
三人の警官は単車を止めていて、その運転者と話をしている、
私の方を見ていなかったようだ、助かったと思いながら通り過ぎた、
数日後、自宅近くの一旦停止場所、いつもは停止していたのだが
その日は停止しないで通ってしまった、
曲がったら二人の警官の姿、アー失敗したと思ったが。
二人の警官は、自転車を止めていて自転車に乗っていた人と話をしていた。
この時も、私の方を見ていなかったようだ、止められずに通り過ぎた。
一回目は助かったで終わったが」、二回も同じことが続くと、
感謝した。
この世の人々に、宇宙の人々に、あの世の人々に、天の人々に「ありがとう」と
これからは、交通法規を守ろう。

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2022年12月31日

        正しさ

祈りをしていれば、解るのであるが、
正しさを主張したり、常識と言う言葉で
人を批判、責めて、人を縛りつけるのが正しさでは無い。
正しさは、他者のために、善なる言葉で祈りを捧げることが
正しさである。
未来に向かって、人々が少しでも良くなるよう
祈り続けるのである。
祈りの思いと正反対の思念を思っているのはその人自身なので
苦しみの原因となる。
祈りの思いと正反対の思念の人は世界中に存在しているだろう。
未来に向かって、少しでも良くなるように祈りを捧げます。

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         平和

国と、国との争いは、戦争と呼び。
人と人との力の争いは 暴力と呼び
言葉と言葉の争いは、口喧嘩となり、
言葉の暴力を受けても、おとなしい性格の人は我慢となる。
想念の暴力もある。
人々は戦争さえ無くなれば、平和だと感じているだろうが、
個人、個人の争いの種が、無くならない限り、世界に平和は訪れない、

現在、国と国との付き合いは、自国の利益になるか、どうかが、
判断の基準となっているだろう。
人間に当てはめて考えると、自分の利益ばかりを求めて、
人と付き合っている事になる。
自国の利益ばかりを追い求めていると、他の国と摩擦が
生じ、争いとなるのも仕方のないことだろうか。

数年前、沖縄で平和運動があった。
工事の車を止めるだけであったら、まだ良いのだが、
地元住民の車も通行出来ないようにしたので
地元住民との「通せ、」「通さない」の争いがあった。
平和運動している人々が、争いの種を増やしているのである


すべての国々が良くなるような、新しい価値観が求められている。
世界が平和になるように祈ってみたいが、上記のようなものが
あるので、今の私には力不足である。
平和が祈れるようになれば、祈りたいと欲している。

--------------------------------------戻る
2022年1月13日

           
祈り④ 

今月の11日に、コロナウイルスが減少するように
コロナウイルスに善い思いを祈っていると、
黒い塊が浮かび上がってきた。
この黒い塊は何であろうかと、調べると、悪の世界であった。
コロナウイルスの祈りを変更して悪の世界に善なる言葉を
レコーダーで聞きながら、祈り続けた。
祈り続けていると、コロナウイルスが消えてしまった。

コロナウイルスをイメージすると、愛おしいくなった感じで見える。
コロナウイルスは細菌兵器として、誕生したとの噂があった。
善き思いの祈りをしたので、細菌兵器としての
マインドコントロールが溶けて、改心したのではと考えている、
世界のコロナウイルスとして祈りをしているので
日本を含めて、世界のコロナウイルス感染者が、
今後は減少していくのではと考えている。

13日も悪の世界を浄化するための瞑想をした、
地球上の人々をイメージしながら、善なる言葉での
祈りを捧げていると、人々の悪の思考が浮かんできた。
盗人、喧嘩、人を見下す、気が強い、自分さえ良かったら、
鬱(うつ)、怒りぽい、自分などであった、
これらの悪に対して、善き言葉での祈りを捧げていった。
宇宙に住む人々(霊も含む)にも祈りを捧げていると。
重苦しい、圧迫感、冷たさ、自分などの悪が出てきた、
これらも善なる祈りを捧げた。
あの世の人々にも祈っていると、
抜け出せない。抜けさす方法が解らないとの思いが伝わった

天の人々にも祈った
天からは、悩み、自分があったので、これらも祈りを捧げた。
まだ十分ではないが半分位は浄化できていると考えたい。
コロナウイルスに祈りをしていたのだが、
平和への祈りにも、共通している部分が多い。。


コロナウイルスに善なる言葉の祈りを捧げる、
そんな事をすれば、コロナウイルスが強くなって
感染者が多くなるのでは、
悪なる人に善なる言葉を祈る、
そんな事をすれば、悪がますます繁栄するのではとの
疑問を抱いている人間も多いのではと推測する。
今までの経験で悪に対して、善き思いを持てば
悪いことが、出来なくなってしまうのである。


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2021年1月29日

     
祈り ⑤

悪の世界を浄化していると、悪の根源が浮かび上がってきた。
悪の源は、欲求不満だった。、
人間は幼い頃からさまざまな、欲求不満が生じる、
両親からの愛、お菓子、遊び、友達関係と欲求不満の種は尽きない。
すべての事に満足した生活をしている人間は少ないであろう、
最初は小さな欲求不満が年齢を重ねると大きくなって、
悪の世界に入ってしまうのである。
欲求不満を、善なる思い、行為、行動で減少させる努力が必要です。

------------------------------

コロナウイルス浄化をしていると、コロナウイルスの発生源が
現れた。
発生源を浄化していると、国、指導者が現れてきた。
世界では200程の国々が存在している、
国々を浄めていると、政治を司る人間と、一般民衆との乖離が
見えてきた。
政事のトップは、大邸宅に住み、自己の権力を守るようにしている。
法律の名の元に、大衆を縛り続ける。
そのような国々が多いように感じた。
政治のトップ、指導者達は、自分の保身、自分さえ良かったらであり、
国民の苦しみ、悲しみ、困窮、を理解できていない。

国と一般国民に祈りを捧げようと考えている。
上記の祈りをすれば、一時的に世界は混乱するかもしれないが。
世界を善き状態にするには、絶対に必要な事柄である。
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国が現れた時、平和への祈りになるのかな、、、と考えたが、
平和では無く、平和よりも、先に国の指導者と国民が現れたので。
こちらを優先して祈りを捧げる。

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      祈りの仕方

貴方の身内、知り合い(Aさんとする)が病気だとします、
貴方は、Aさんの病気が治るように祈りますね。
Aさんに直接に祈りをするよりも、Aさんと同じような病気の人は
世界中に多くの人がいます。
世界中の病気の人々が治るように祈りを捧げた方が、
自分の事を祈りをしていないので、効き目があるのでは、、
(知り合にの祈りをやはり自分の為です。)

(祈り、祈りですよ、祈る、祈るは自分が入るために疲れますよ。)---------------------------------------------

世界200国程の国々を浄化する瞑想は

200国程の国々をイメージしながら、
レコーダーを聞きながら、すべての国々を一つにして国々に
愛の言葉が聞こえたら愛 祈り、祈り。感謝が聞こえたら
感謝、祈り、祈り。安心が聞こえたら安心 祈り、祈りと
続けていく。
国々にしていると、指導者とその取り巻き達が現れたら
指導者、取り巻き達に、同じように善なる言葉の祈りをしている。
一般国民が出てきたら、国民に祈りをする。
この瞑想をしていれば、苦しみ、重苦しい、圧迫感げ出てくることが
多々ある、
それは国民の苦しみであり、苦しみに圧迫感に負けないで
祈りを続けていれば消えてゆく
指導者は国民と違う感情がでてくる、
それらに対して、負けないように祈り続ける。

この世の瞑想が終われば、宇宙の人間、人々に、あの世にも、
天の世界の人々ににも同じように祈りをする。
最後にこの世、宇宙、あの世、天の世界を一つにして
同じように祈っている。

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一人でも二人でも国々の民衆が、助かってくれるよう、
祈ってくれる仲間を求めている。私一人の力より二人、
三人、五人、と人数が増すごとに祈りの力は強くなる。
皆さんの住んでいる場所で無理のないようにして、祈ってくれ

----------------------------

この世に生きている我々を人間と呼び、
あの世、天の世界の住人は、人と呼ぶ、
私は人間であると言う想念が優先されると。喜怒哀楽、苦しみが生じる、
他の人間も人として見て
我も、人であると自覚すれば、思考も変わる。
良いように変われる。
人間としてでは無く、人としての自覚を持って生きることです。

-----------------------------戻る
2023年6月11日
        
30) 心と魂

他者への祈りを続けていると、
心の持ち方を悟り、魂の持ち方で大悟したようだ。
心は、この世的な思考なので。他者と比べ、
人間関係で揺れ動く。
人間らしく、心で生きれば、他者の表面だけを見て
判断するため喜怒哀楽となる。
喜びもあれば。怒りもあり、悲しみ、寂しさ、苦しみ、
嫌な事柄が、生じるのは当然であろうか。

喜怒哀楽から離れられる方法はあるのだろうか、
人々は心を中心として、生きている。
心から離れて、魂の存在に目覚めるのです。
心は他者の行為、行動を見て、振り回されます。
魂はあの世、天の世界に行くと、心の存在は微小となり、
魂を主体として、本性で生きていくようになります。

日本人は魂と言うと、大和魂が思い浮かぶ。
戦時中のことを思い浮かべて、魂と言う言葉に
嫌悪感を持っている人々も多いのではないかと、
考えられるが、魂は魂である。
魂を瞑想していると、この世の善悪等は消えて
ゆくのである。仏教の教えでは、無我、空、
この世は仮の世界とあるが、
魂を悟ると無我、空の教え、この世は仮の世界は正解である
心で判断するから、この世的な思考であるから
間違った結果となってしまう。。

--------------------------------

正しさと愛について
世界中の人々は、正しさ、愛などを
自分のイメージだけで、語っているのではないだろうか
感謝する。愛する、素直、豊かさ、成長、健康、謙虚、等々も
正しい言葉であろう。
善なることば250程ある、すべての言葉が
正しいのです。
愛についても同じであろう。
感謝、慈しむ、素直、謙虚、微笑み、豊か、等々が
愛であるか、無いか、判断すれば愛であろう。

----------------------------

愛も単体だけで、他の善なる思いが無ければ、口先だけで
言っているように感じる。
正しさも単体だけで、他の善なる思いが無ければ、
正しさで攻められているように感じて、他者を傷つけて
いるだけである。
感謝も他の善なる思いが、無ければ、
有難うの言葉が、上辺だけで相手の心に響かない。

正しさだけ、愛だけが単体で存在している訳では無い。
250程の善なる言葉。すべてが絡み合っている、

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仏教の教えである
八正道

正しく見る。正しく思う、正しく語る、正しく仕事
正しく生活、正しく精進、正しく念じる、正しく定にいる
とあるが
八正道でなくても良い
八感謝道でも八愛道でも正しいのである。
人に直接、愛をだすのでは無く、

八愛道をするならば、
愛を見る、愛を思う、愛を語る、愛で仕事、
愛の生活、愛で精進、愛を念じる、愛で定にいる。

八感謝道
感謝を見る、感謝を思う、感謝を語る、感謝で仕事、
感謝で生活、感謝で精進、感謝を念じる、感謝で定にいると
その他の善なる言葉も八◯◯道にして瞑想すれば
良い結果が生まれてくるでしょう。

--------------------------------

大自然の御魂に意識を合わす。
宇宙の御魂に意識を合わす。
あの世の御魂に意識を合わす。
天の御魂に意識を合わす。
上記の宇宙,あの世,天の世界、
をすべてを一つにしての、御魂に意識を合わす。
の瞑想もしている
(御魂、ミタマと呼ぶ)

--------------------------------戻る
2023年6月29日

          
31) 禁断の章

この章は、記載し難いのだが,
祓い清めるには、避けて通れない事柄である。
人類の大きな欲として食欲、睡眠欲、性欲、の3つの
大きな欲がある。
その中でも。性よくが、人々の精神に悪影響を与える。

多くの人々が色じょうで悩み、苦しんでいる。
私にはそのような物は無いと思考しても、
周りから、世の中から受けた色じょうがある。。

この色じょうを祓い清めようとしたが、
払い清めはできなかった。
色じょうのドロドロした汚い感覚が残っている。
この色じょうを祓い清めようとしたが、色じょうを
祓い清めしていると、人間の三大欲が浮かんだので、
性◯を祓い清めるための瞑想をしていた。
祓い清めるための瞑想をしていると
ある言葉が浮かんできた。
旧約聖書に記載されている。
「産めよ、増やせよ」という言葉である。
この言葉に対して、善なる言葉で、払い清めていると。
胸の中のドロドロした汚い物が消滅してゆくのである。
「産めよ、増やせよ」の言葉が、全人類の
胸の奥底に刻まれいるのだろうか。
「産めよ、増やせよ」の言葉が、
色じょうに直接に関係していたとは、夢にも思わなかった。
「産めよ、増やせよ」は神、神様の言った言葉では無いと
だけは伝えておく。

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追伸
刺激、昂奮、も善なる言葉で祓い清める事も必要です。

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コロナウイルスについて

コロナウイルス第八波は、日本で最大一日24万人以上の感染者となったが
今回もコロナウイルス第九波が訪れているようだ。
第九波から第十波とコロナウイルスの波がありそうだが、
その感染者の波は第九波、第十波ともに第八波の
感染者よりも半分以下となるだろうと予想している。
第十波が終わると、コロナウイルスは絶滅する可能性が
大である
前回、コロナウイルスへの祈りをしたが、
私以外にも、20ー30人の人々が、コロナウイルスへの
祈りをしてくれていたようだ。
彼、彼女達のお陰もあって、コロナウイルスも急激に
減少し、第九波、第十波と訪れるが、感染者の波は小さく
なって、消滅するように見えてきている。
コロナウイルスへの祈りを、してくれた20-30
人は、人類をコロナウイルスから救った、
人々である。
誰からも認められ称賛されるる事はないが、
私は貴方達の素晴らしき行為を、決して忘れることは無い。

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7月1日から、争いについての祈りを始める。
①家庭内の争い、兄弟同士、親子、兄弟の争い
②他人との争い。窃盗、いじめ、言葉の暴力、精神的な暴力、力の暴力、
③内戦、国と国の争い(戦争)
この3つに対して、この世、宇宙、あの世、天、
それぞれに、善なる言葉で祈りをする。

-----------------------------------------戻る
2023年8月12日

       
32】 食欲、睡眠欲、清める

三大欲の食欲、睡眠欲、性欲がある、
食欲と睡眠欲を祓い清めた。
食べ物の材料である、動植物に善なる言葉で祈りをした。
食べ物となる動植物に祈りををしていると、
いつもの食事だが、今までよりも美味しくなっている。

--------------------------------------

睡眠欲を祓い清めた。
自己の寝ている姿をイメージして、寝ているときの意識を祓い清めた。
寝ている時の意識を清めると、夜中にトイレに起きることも無くなり、
深くて良質の睡眠を得られている。

--------------------------------------
幸福について、
自己の気持ちを、シッカリと持って、幸福について瞑想をした。
この瞑想が終わって、一緒に瞑想した人が、
食べ物が眼の前に浮かんできたと言う。
それを聞いて、食べることが出来ることは幸せになのだと、
感じた。
幸せとは、不自由なく食事できることである。

---------------------------------戻る
2023年9月4日
      
        
33)大自然、自然

自己の祓い清めと祈りの瞑想をしていいると。
大自然、自然の姿が浮かび上がって来た、
自然に対しての瞑想を始めた。
大自然、自然の瞑想をしていると過去に見た
夢のことを想いだした。
「人を相手にせず、自然を相手にして行きなさい、私もそのようにやっています」
の言葉である。
自然を瞑想をしていると、人を相手にせず、
の意味も理解できるようになった。
大自然、自然を説くにしても、抽象的すぎて、説く道が無い。
私が夢で、人を相手にせず、自然を相手にしていきなさい、
と教えてもらって、日本全国の自然を求めて
旅をしたが、自然の意味は会得出来なかった。

大自然、自然に近づければ、説く法は何も無い。
自然が真理であると、説けば、山の中、田舎、自然豊かな場に
住む人が出るかも知れない。
自分の気持ちのままに、生きるのが自然だと勘違いして、周りに迷惑をかける人がでてくるかもしれない。
何もしないのが自然であると勘違いする人も、出てくるかもである
これらの思考は、自然をこの世的に判断している、

もし,
説くことが許されるなら
髭の仙人は、人や物、この世的な思考を、相手にしないで、自然を相手にして生きています。。。。と

自然の先には素晴らしい世界が、存在しています。
と伝えて、、、


--------------------------------戻る
2023年9月20日

         
34) 黎明の章

「人を相手にせず、自然を相手にしてゆく。」の言葉であるが、
人を相手にせずは間違いであると、感じている人々が多いのでは
と考えている。
髭の仙人は、人を相手にせずを、善なる言葉に変更して
瞑想をしている。

愛、愛情を相手にせず、自然を相手に、としている。
感謝でも同じである。
感謝を相手せず、自然を相手、にとの瞑想をしている。
正しさも同じである。
正しさを相手にせず、自然を相手に、、と
善にも悪にも、同じように瞑想している、
貴方のの胸の中に、苦しみ、ストレス、暗い想いがあれば
苦しみを相手にせず、自然を相手に。、、と瞑想をしている。
宇宙は無の世界に似通っている。宇宙の無に負けないように
宇宙を相手にせず、自然を相手に
あの世の地獄に対しいても、
地獄を相手にせず、自然を相手、、として瞑想をしている。

この、瞑想をしていると
感謝、愛情、正しさ等々の拘り、囚われが無くなって
本来の自分自身に戻ってきているようだ。

人を相手にせず、自然を相手にして行きなさい、、、
との夢を見てから、自然の樹木、草花、川の水の流れ、大空に浮かぶ雲、
自然の姿を見つめてきたが、
自然の意味が解ったのが、夢を見てから30年以上の年月が経過した。
自然を相手に、、と記載しても、、自然の意味を理解できるのだろうか。。
自然をこの世的に破断するのでは無い。、

初歩的であるが、自然を相手にする仕方
瞑想で、花、樹木、草、水の流れ、大空に浮かぶ雲、等々を
想い浮かべる事から始める。
自然を相手にして、自然を求め続けるならば
自然の真髄を会得できる可能性が出てくる、かもです。
自然の真髄は、言葉では言い表せ無い。
適切な言葉が無い。

自然の真髄を、語る人がいても、その教えは真髄では無い。
自然の真髄は、この世的な言語では言い表せ無い。
自分自身で会得するしか、道は無い。

----------------------------------------戻る
2023年10月29日

         
天界の章

悟りは、この世に生を受けたまま、あの世に行けること
大悟は、この世に生を受けたまま、天の世界に行けること
この悟り、大悟した当時は、悟り、大悟は重要視していなかった。
真理を求めていたのだから、
現在は天の世界に昇ることを、重要視している。
上に昇れば、昇る程、素晴らしき世界、自然が姿を現してくれる。
今まで記した天の世界より、上の世界である、

樹木の間に、太陽が見える、
この世界で太陽を見ていると、開運が訪れてくるような気がしてくる
その上は、樹木と溶け合う階層である。
その上は、自然と一体になれる世界である。
その上は、天の世界、即我なり、という心境となった。
天の世界もこれで、終わりかと感じたが、もっと昇れないか試した。
昇った世界は、静かな喜びがある世界だった。

(天即我なり、意味を考えた、
天の世界。あの世、宇宙、地球、すべての命あるものが
少しでも生が楽になるように、幸が訪れるように
祈りをすることが、私の責務だと考えた。)

----------------------------------

それぞれの世界で瞑想をしている。
静かな世界で瞑想をしていると、ある想いが浮かび上がった。
数十年前に、瞑想中に見えた自然の姿である。
その世界の緑は、命が躍動しており、強く、美しかった。
この世に生がある内にもう一度、その世界に行きたいので
精進していこうと考えている。

-----------------------------------

このサイトの何処かに、
記載したが、もう一度
「この世の教えは98% 嘘である」と、ある国の古文書に
書かれてあるとの文章をサイトで読んだことがある。
これを書いた人は、名もない人であるが、天の次元の
高い階層にに昇っていたのだろ。
天の世界から見れば、この世の精神的な教えは
肝心な事柄が抜けているから、98%嘘、間違いであると感じる。
今となれば、この髭の仙人のサイトも、98%嘘、間違いを記載している。
98%の嘘、間違いの道を通り越さなければ、天に到達出来ないのである。
間違いを乗り越えてきた道を記載しているに過ぎない。
このサイトの何処かに、現時点での嘘、間違いで無い真実が記載されている。

----------------------------------------------------------戻る
2023年11月30日

          
祓い清め 1

この世、宇宙、あの世、天の世界の
事だが低い階層の人々の思いである

お金
この世は
お金がなくて、明日食べるお金が無い
子供に食べさせられない、辛い気持ちが浮かび上がった。

宇宙では
四畳半一間しか無い小さな小屋、
小屋の中、壁に札束が山のように積み上げられている。
しかしお金のの使い道が無い、物を売っている店がない
他の人もいない、捨てる事も出来ないので
小さい部屋が、窮屈となっている。
こんなにお金があるのに、と虚しい気持ち

あの世
あの世では、道を歩いていると、道端にお金が落ちている。
4,5人の人々が争って奪うようにお金を拾う。
拾ったお金を懐に入れると同時に消えてなくなる。
お金が無くなって、辛い気持ち、悲しみが入り混じった
気持ちになっている。

天の世界では
貧しい気持ちの人々も存在しているが。
金持ちの人々もいる。
金持ちの人々はお金は力があると、感じている。
男性はお金があれば、女は寄ってくる
贅沢な物を買える、食えると思考している
女性はお金があるから、男どもが頭を下げてくると思考していた。
お金を稼いだ人は、自分は選ばれた人間だ、
お金を稼げない人々はアホだ、バカだとを見下し下等な人間だと
下げすんでいる

上記に記した思いは一部分です。
お金の祓い清めをした。
お金は使い方が大切であると感じた
お金の無い人も、稼いででいる人も
お金に振り回されている。
お金の多寡で人々を区別、差別している

人間関係
人類の人間関係を祓い清めをしていると、
戦争が出てきた、、戦争状態だが、互いに憎しみ合っている。
この憎しみは強烈だった。
宇宙
人間関係が上手くいかない苦しみ、
あの世
人が怖い、恐ろしい
人間関係でのストレス、これで良いのだろうかと悩み

しかし不思議だ、人類、宇宙、あの世、天の世界、命あるものに
払い清めをすると、私自身も払い清めまってしまう。
お金を自然で払い清めると、何かが軽くなった。
人間関係を自然で払い清めると、何かが、吹っ切れた。

現在でも自然を相手にして、瞑想をしている。
自然の力は強くて、全てが癒やされる
身体の不調も、自然を相手の瞑想で
自然治癒力が増して、身体も癒やされるかもです。。。


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2023年12月30日

        
37)  払い清め、2

上記の瞑想をしていると、瞑想の仕方に変化が生じてきた。
今までは、愛であれば、愛を相手ににしないで、
自然を相手の瞑想をしていたが、
愛と恨みを相手にせず、自然を相手に、と瞑想をしている、
明るさであれば、明るさと暗闇を相手にせずと、瞑想している
プラスとマイナス、陰と陽、、表と裏の関係、言葉の反対語を
入れて瞑想している。
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瞑想の仕方 例 1
愛と憎しみを相手にせず、自然を相手に、瞑想していると
冷たい気持ちが出てきた。
愛と憎しみの瞑想を後にして、愛と冷たさの瞑想をした、
冷たさが、無くなってから、愛と恨みを相手にせず、自然を相手
の瞑想に戻った。

例 2
活溌と無気力を相手にせず。自然を相手の瞑想していると
自我が出てきた。
活溌と自我を相手にせず。自然を相手の瞑想していると、
無我が出てきた。
活溌と無我を相手にせず、自然を相手の瞑想に変えた。
無我も軽くなると、最初の活溌と無気力の瞑想に戻った。

例 3
正しさと不正を相手にしないで。自然を相手に瞑想をした。
正しさと正しく無いを、相手にしないで、自然を相手の瞑想
正しさと間違いを相手にぜず、自然を相手、の瞑想。
正しさと、過ちを相手にせず、自然を相手の瞑想、
これらの瞑想を、この世、宇宙、あの世、天、に対して
瞑想をしている、

愛と憎しみの瞑想であれば、この世で愛と憎しみを相手にしないで、
自然を相手と
宇宙をイメージして、愛と憎しみを相手にしないで、自然を相手と
あの世をイメージしながら、愛と憎しみを相手にしないで、
自然を相手と
天の世界をイメージして、愛と憎しみを相手にしないで、
自然を相手と、
この世、宇宙、あの世、天での瞑想を1クールとして
何回もクールしている。
「自然を相手」の言葉は、不思議な力がある。
瞑想する度に、心身が軽くなる。

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ある日、天に昇った。
広い場所であり、空気は澄み切っていた。
この上に昇った、
私は私の身体の中に存在していた。

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その後、天に昇って、自分の身体から、上に昇った。
そこは今までに経験した事の無い、、、素晴らしい世界であった。
身体の中から抜け出せたと言うことは
人間としての殻を破り自由になれたのであろう。

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2024年1月12日

        
38) 人生を悟る

この世に生きている人類、
人間関係、金銭的な苦しみ、悩み、苦労の数々、
を乗り越えて人は生きている。
この苦しみの人生で、
私は、どのような思い、心、気持ちで生きていけば
良いのだろうかと、真(まこと)の心を探し求めていた。
世界の人々が信仰している、神、神さま、仏様、創造主、
愛、正しさ、慈愛、
そのようなもので、私の心は納得できなかった、
精神世界の真理は、存在しないのではと、
思考していた時期もあった。
上記の瞑想で払い清めをしていると、
ある言葉が浮かび上がってきた。
「寄付」と言う文字である。

寄付と言うと、思い浮かぶのは、お金での
寄付だけであろう。
寄付は、お金だけでは無い。
私が語りたいのは、精神的な寄付のことである。

寄付の心は、愛、感謝、慈愛,正しさ、を超える
思いである。
人類に、人々に、山川草木、すべてのものに、
寄付の心を持ち続けていると、心が癒やされる。

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自然を相手、寄付の心、気配を消す
この三つが、大切な事柄です。
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気配を消すは無我の境地に似ているが
無我では無い。
我(われ)の心、気持を,
しっかりと持って、苦しみ、悩み、落ち込み、鬱
等々の好ましく無い、気配だけを消すのである。
気配は消すが、我は存在している。

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2024年3月3日

           
39)新説、人と人間

私達、人類は人間であり、人とも呼ぶ。。
人間である限り、喜怒哀楽、喜びもあり悲しみもある
愛、があり憎しみもある、
正しさがあれば、不正、間違い、誹謗、中傷
も存在している、平和があれば争いも存在している。
人間は他の人の表面、物事の表面しか見ていない。
両極端の道を歩むのが人間だろう。
苦しみ、悩み、怒り、悲しみから抜け出すことは
人間である限り、不可能だろう。

地球上に住む、私達は、あの世、天の世界から見れば
人間である。
あの世、天の世界の霊体を何と呼ぶのだろう。
人と呼ぶ。
人間から脱皮して人として、生きてゆく。
他の人も、自分も人と観じて、判断すると
思考が変化して良いように、変わることが可能となる、
人類が人間としての思考から、人としての思考となると
世界は平和となり、安心して生活を送れるようになるのである。
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