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真理を求め,新しき価値観を求め

心は丸く大きくSeeking the truth

真理を求めて


髭の仙人

「私の弟子に佐原○○○という者がいる、頑固な男でなー、
弟子入りした当時は、感謝とか愛情とか、心を丸くとか、善なる思いが、
正しさだと言っていた。
最近はそのような事も言わなくなっておる、」

何故 
「言わなくなったか、」 と問いかけると、
「神さまも人間以上に人間らしいでしょう、人間らしく生きておれば
良いのです、世の為、人の為、人類の為です。」 とほざきやがった。
しかし妙にスッキリした精神状態になっておる。やつも少しは解ってきた
ようだ。
彼の心の中を覗いて、その道のりを記してみようか、



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         1)真実なものは、  

何故。精神世界に  幼い頃に聞こえていた声が、24歳の時に聞こえ始め、
理由も無いのに精神的な苦しみが生じた。
この苦しみを取り除くには、宗教の道に入るいがい助かる道はないと感じた。
さまざまな宗教本を読んでみたが、心に響くものがなかったのであるが、
高橋信次氏の書かれた本に引かれてしまった。
その頃高橋信次氏はGLAという宗教組織を主宰していた。
入会も退会も自由と書いていたので、どんなものか、
軽い気持ちで入ったのです。

入会してどうでしたか、

今、考えるとどこの宗教にでもあるように、感謝とか愛とか明るさ等々の
善なる教えであった。
それまでの私は善には無縁な、(善なことなど考えない)普通の生活を
していたので、新鮮だったかもしれない、善なることに嵌まりました。

善なる思いを持ってどうでしたか。

善なる思いの前に、悪の心を見つめましたね。 恨み、妬み、謗り(そしり)
怒り、自己保存、自我、我欲の気持ちが無いか、
見つめて無くしていきました。

我欲の気持ちを徹底的に無くしてしまった.
我欲の気持ちが無くなれば、給料を貰っても嬉しく無くなるのです。
こんな紙切れを貰うために仕事をしているのかと、
人生がむなしくなってしまった。
この世に生きてる限り、ある程度の欲を持つことは必要です。


感謝しましたね、何に対しても感謝です。ありがとうの気持ちですね。
例えば、健康な身体に感謝するとします。
健康な身体を与えて貰ってありがとう、感謝します。
健康な身体に生んでくれてありがとう、感謝します。
しかし感謝は、して貰ったことに対しての感謝ですね。
感謝を続けていると、して貰ったことばかりで、何もしていない自分自身が
惨めになってしまうのです。
感謝は良いことなのに、過度になれば惨めになってくる。
本当に良いことならば、過度にすればするほど、楽になっていくものだと
思考したのです。
感謝は本当に良いものだろうかと疑問がでてきました。

愛について 愛についてもそうなのです、

愛だと感じて行っても通じないことが、あります。
相手に愛が通じないのは、愛が足らないからだとか、愛は無償の愛をとか、
巷では言われております。
いつまでも無償の愛を他人に与え続けることは、不可能なのです。
精神的に疲れてしまいます。 (無償の愛が出来るのは子供に対してだけで
はないかと考えます。
子供は学校に行く位までは、可愛いですね、可愛いと感じるのは子供から
愛を貰っているのですね、お互いさまなので、無償と言いがたいですが)

人に感謝しなさいとか、愛し続けなさいとか、言う人は、それをしたことが
無い人が言っているのではと考えています。、、

感謝とか、愛とか、明るさ等々の善なることは、やっている当事者が言う
ものではなく、第三者が、決めることなのでしょう。

それからどうしましたか

常識的な感謝、報恩、慈悲、愛、平和、正しさを
捨ててしまいました。
これらを捨てると、心に穴が開いたようになってしまった。
精神的なバックボーン 柱が無くなってしまいました。
これらに変わる、本当の物を探しましたね。
しかしなかなか糸口も見つからづ、苦労しました。



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  2)正しさの糸口はそのようにして、見つけましたか。

ある年の初夢で,この世からは亡くなっている人が出てきたのです。
彼が言うには
「人を相手にせず、自然を相手にして行きなさい, 私もそのようにやって
います」と この言葉は信じました。

亡くなってあの世から言っていることだから、間違いは無いと確信したのです
生きている時だったら、信じていなかったでしょうね、 
人を相手にせず、どのように生きていくのかと、
私も霊的なことは常に疑いながらやってきましたから、



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3) GLAの分裂について (真理には、余分だが道順として記す)

GLA関西本部が分裂する数ヶ月前から、
「分裂を防ぎなさい」との声が聞こえるようになってきた。
しかしその声を無視していたのです。
地位も名誉も無い一会員がそんな事を言っても、気が変になったやつだと
思われるだけですから(霊能力があることは、誰にも言ってなかった。
道を求めるのに霊能力は関係ないと)
GLAの中には霊道が開けていた人や、偉い人がいる。 何故、そのような力のある人に言わないのかと感じていた。

そのような事情で、無視していたのだが、
「防ぎなさい、防ぎなさい」との声が頻繁に聞こえるようになった。
トイレの中にまで、聞こえだしたのです。
私も堪忍袋がきれて、言い返した。
「防ぎなさい、防ぎなさい、ではどうしたら良いか、どうしたら防げるのか
やりようがないやろ」と
何日間は声がしなくなった。あきらめてくれたかなと思っていると、
「地位、名誉を無くして平等な組織にしたら防ぐことができる。」と言われ
のです。

ここまで言われたら、動かないわけにはいかないです。
GLAでの地位、名誉のある人々にいったが、誰も信用しなかった。
「地位、名誉をつけてから言え」と言った人もいた。
そうだろうな、それが普通だが、 救いは一人だけ支部長が自分の奥さんに
「分裂しないな」と問うと、 ジッと考えこんでいた、
あの人も分裂を感じていたのかな、 私の意見に反対しなかった人が一人
だけいた、一人だけでも反対しない人がいた、それだけが救いだった。
その奥様には感謝、、、、、ではないな、 、、、その人のことを思うと
嬉しさが込み上げてくる。
このような組織に入っていては、修行の妨げになると考えGLAを退会した。
その後、三ヶ月程してから、GLAは分裂したと会員から聞いた
この時、組織の怖さを知った、 組織に入るならば、地位、名誉の無い、
平等な組織でしょうか宗教、信仰するならば、組織ではない仏道、神道が
良いでしょう、
拝みたいときに行って拝むので、人間関係に組織に縛られないから良いのです。



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      4) GLAを退会してから、どうしましたか

自然を探し求めて、放浪の旅を続けました、
北は北海道から南は九州まで, 各地の自然を求めていました。
自然とは何か、答えを探して、全国を放浪しても答えはでなかった。
山の中に篭った、私が篭るのは一週間です。
何回か篭っていると、最初の3,4日は俗世間の垢にまみれているの
だろう、 さしたる変化はないが、4日も過ぎると、心も頭も身体が
澄みきってくるのです。
昼から夜に変わる一瞬の静寂感、経験した者でないとこの静寂さは理解でき
ないだろう。 しかし篭りが終り、人里に戻ると静寂さは、無くなり
俗世間の人となってしまう。 それの繰り返しであった。
ある時、生駒山を歩いていると、自然の姿そのものが神さま仏さまの姿だと
閃いたのです。
それ以後 自然から人生を学び取るようになった。



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     5) 自然からどのように学びましたか、

緑を見つめる時間が長くなりました。
サラリーマンをしていた頃は常緑樹を見ても、何も心に響かず
落葉樹ばかりが眼についていたものです。
冬の寒い時期に葉っぱを落として、寒々と春を待っている木です。
自己の姿が現れているようでした。

その頃の私は(30代後半)精神世界を探求する事が、好きでした。
この道を歩みたいがために会社を退職して、霊能者の道を選びました。
霊能者を職業としてからは、小さな木の常緑木が眼につくようになったのです。
大きくはなれない木だが、小さくまとまって緑の葉をいつも、つけています。
時間があれば、いつも眺めていました。



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       6)自然の中に愛はあるのか。

樹木、草花に愛の思いを投げかけても、彼らは知らん顔です通用しない
のです、 田畑に雑草が生えて、農作物を育てる人は苦労しますね、
農作物を育てるには毎日のように、雑草を抜かなければなりません。
彼らはそんなことは平気で抜かれても生えてきます。
その頃に思考したことは、樹木、草花に愛があるならば、
田畑に雑草は生えてこないであろう、と考えました。
もし彼ら樹木、草花に愛とか思いやりの気持ちがあるならば、
田畑には生えてはいけないと思い生えてこないであろう、、、、と
彼ら自然なる樹木、草花は、愛とか思いやりではなく、
生き続けることだけが大切な目的、意義なのです、、、



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        7)自然と善について、

それでも人々は善に向かって歩いていきます。善に対して、
思い違い、勘違いしているのではないでしょうか、
感謝をしなさい、愛していきなさい、慈悲の気持ちで接していきなさい、
それらの言葉は正しいとされ、反論できないからです。
善なることは、感謝だけではないでしょう、愛、慈悲だけではないでしょう。
一つの言葉だけを取り上げて、やっていきなさい、、、、説教だけなら猿で
できる。
感謝だけでは無いのです、愛、慈悲だけでもないのです。
感謝、報恩、慈悲、愛、平和、喜び、成長、繁栄、素直、成功、豊かさ、健
、等々の善なることが抱合されたものが、自然であり善なることなのです。

感謝、報恩、慈悲、愛、平和、喜び、成長、繁栄、素直、成功、豊かさ、
健康(他にも善なる言葉は沢山あるでしょう) 等々を平均的に行うのが良い
です。
愛だけを感謝だけを取り上げてやっていけば、心は歪になってくるのは
自然の理です。
これらの良い言葉を平均におこなうとしたら、善にこだわらない、
普通の人間に戻ってしまうのです。



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         8)正しさは心で判断する

正しいか、正しく無いかの判断は、心が重たくなるか、軽いかで判断すると
間違いは無いでしょう、
人生の岐路に立たされても、Aの道、Bの道、どちらの道を歩いたら、
良いかの判断も同じです。
心が重たくなるのは、間違っていると心が教えているのです .
心が軽いのは、その判断は正しいと心が教えているのです。

心が重たい、軽いについて、
家の中、部屋の中が、散らかっているとします。
部屋の中が乱雑になっていると、片付けなければと思います。
すぐに掃除をして片付ければ、気持ち良いですね、 心は軽いです。
しかし今日は疲れているから今度にしょうと思ってしまう人は、
なかなか掃除できないで、 片付けなければ、片付けなければ、
と思いながら過ごしてしまいます。
片付けなければという思いだけでも精神エネルギーを使ってしまって、
身体まで疲れてしまうのです、
片付けなければという思いで心も身体もどんどん重たくなってしまう。
身体は疲れていても、片付けたら心は軽くなるでしょう、
心が軽くなるのは、正しいことをしたからです。
自然とは、何もしないことが、自然ではないですよ。
自然に掃除する気になるまで、待つのが自然では無いですよ
心が軽くなるように、積極的に行為、行動することが、自然であり、
心の正しさです。



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           9)自然について  

想定外の反応 ある日、お参りをしていると、階段を登ってくる足音が
聞こえたので、その人のお参りが終るまで待とうと拝殿の前で待っていると
30代の若者が来た。

その子が私に話しかけてきたのです
「総代の方ですか、私は祭りの太鼓台を担いでいる者です」と
「総代の者とは違うよ」と答えても話しかけてくる。
「今の職場に勤めてから、真面目になりました、時間を守るようにしている
し、約束をしても守っています」と語りかけてくる。

仕方なく、ちょと相手をしてやろうと考え、
「君は神さまはいると思うか」と問うと、
「ハイ いると思います、この草や木、石ころにも魂が宿って、神さまがい
と思います」と答えた。

それを聞いていて、こいつは奇麗事ばかり言っているなー、と感じたので、
一度、黙祷をさせて見たくなった。
「僕が見ていて上げるから、黙祷をしてみるか」と拝殿の前で黙祷をさせた。
彼の黙祷のようすを見ていると、(イライラ)している心があった。
「イライラを捨てる、捨てると思っていこう」と声をかける。
イライラが少なくなってくると、(何や、こいつは)との声があった。
「何や、こいつはを捨てる。捨てる」と思っていこうと指示した、
何や、こいつは、という気持ちも薄まっていくと、 今度は(殴ったろか)
と声が聞こえた、
「殴ったろか、を捨てる、捨てる」と捨て去るようにした、
すると 「何ぜ、解るね、 何ぜ、解るね」との声が聞こえたので、
その思いも捨て去るように言うと、 彼の身体が揺れだした、かなり動揺し
ているようだ。

これ以上の黙祷は無理だなと感じたので、止めさすと、
「何で解りますの、何で解りますの、」と問いかけてくる
「君の心が言ってくるから」と返事しても
「何で解りますの、何で解りますの、」と問いかけてくる。

仕方なく
「ここの神さまが教えてくれているから」と返答すると、納得したようだった、
「僕がいつも思っていることです」とやっと、素直な気持ちで言葉を発した。
ここ迄、前置きで、ここから自然にはいる、前置きの方が長いかな、
(神社にはたくさんの木があるので)
「君は、このような小さな木に成りたい、この木のように大きな木に成りた
いの」と問いかけた。
彼は
「大きな木になりたいです」と返答する。
「だったらこの大きな木を見てみ、他の木の枝がこの木の中に入っている
だろう、 自分のテリトリーを犯されても、怒っていないだろう、
君は自分のテリトリーを犯されると怒りまくっているんだよ」と説教すると、
彼は
「それ、面白いですね、面白いですね」との表現だった。
この表現は僕の想定外の返答だったので、新鮮に感じた.



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2012年 7月5日

10)

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2012年7月17日

11) 

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2012年7月20日

12)