神さまを求めて

神在り月に,出雲国へ

神さまを求めて   参拝の仕方

1)  何故 神社に参拝
2)  参拝の仕方
3) @ 神さまは存在する
4) A 神さまは存在する
5) 神殿に登る
6) 神在り月に
7) 全国の神さまを求めて
8) ある神社の神輿
9) 日月神示.痲賀多神社
10)拝殿のお祓い

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私の弟子に佐原○○○という人物がい
るが、彼は神様の声も聞こえているようだ。
お参りに行って、こんな事があったと
語ってくれるが、その話でも聞いてく
れるか,」

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神さまが、岡本天明に降ろしたとされ
る日月神示、岡本天明に授けた場所が
麻賀多神社である。この事を知ったの
は、 2012年3月頃、インター
ネットを見ていて、知ったのです。
麻賀多神社、境内の写真も掲載されて
本殿も末社からも良いパワーが出てい
るので、一度、お参りに行きたいと願
っていた神社であった。
9)に記載

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1) 何故、 神社に参拝

お参りには寺社と神社があります。
最初の頃はは両方とも行っていました
いつ頃からか神社にお参りする事が多
くなっていました。  

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何故、 神社にお参りするようになったのですか。

まず寺社に居られるお坊さんと神社の
神主さんとの持っている雰囲気です。
全体的にお坊さんは重たい雰囲気があ
るように感じてしまう。
神主さんは軽い雰囲気があるように感
じてしまうのです。
仙人は重たい人よりも、軽い感じにな
れるよう修業したかったからです。
それと神社は24時間 開いているの
で仕事が終わってからでも、お参りで
きるのも利点でした。
いまでも都合がつけばお参りに行くよ
うに心がけています。
お寺にもたまに参拝にいきます。
私の気に入っているお寺は奈良県内で
秋篠寺と龍泉寺の2ヶ所です。

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2) 参拝の仕方

正式な参拝方法は、書籍、その他に
記載されているので、それを参考にし
て下さい。
ここでは私個人が、参拝している仕方
を述べます。
鳥居の前で軽く手を合わせて、「入ら
させて戴きます」と挨拶します。
「入って良い、良い」と言われたら、
軽く会釈をして鳥居の中に入って行き
ます。
たまに「駄目じゃ、入ってはならぬ」
と言われる事もありました。
最初の頃は(何か、悪いことしたかな
アレーが悪かったのかなーとか、何も
思い当たることはないのになーとか)
色々と自己反省して いたものです。

それも慣れてくると、
(アー神さまにも用事、都合があるん
だ、)と考えられるようになりました
今であれば 「解りました。」と何も
詮索せずに素直に帰ります。

神さまのお許しがでて鳥居をくぐり、
神社の本殿の前に立ちます。
立つ場所は神さまが指示してきます。
今まで本殿のまん前に立たされた事は
一回もありませんでした。

神さまの指示する場所、ピッタリの所
に立たなければならない。
2,3pでも狂えば、立っていても
落ち着かない、黙祷に集中出来ないのです

本殿の前に立って、軽く2礼2拍1礼
して、手を下ろして黙祷します。
瞼を閉じているが、眼は神さまを見つ
めながら、神さまに意識を合わせる
ように黙祷しています。
仙人は神さまのパワーを受けることを
目的としているので、黙祷が最善の方
法なのです

日中は参拝の人々も多く黙祷が出来な
いので(参拝の人々にも迷惑がかかる)
ので夜に御参りに行きます。
10分ー20分位は黙祷しているでし
ょうか、
この時間も神さまが「もう良い、良い
」と指示してきます。
この指示がなければもっとしているだ
ろうな黙祷が終れば心はスッキリ、
スッキリです。
一般の人とは御参りの仕方が違うでし
ょう
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 3)  @神さまは存在する。

神さまの話しをする前に、
神さまの定義付けが必要です。
絶対唯一の神、 宇宙の神、と言われ
るような神々のことは、確認できてい
ないので存在するか、どうか解りませ
ん.
しかし神社に居られる神さまだったら
存在すると考えています。

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何故神さまは存在すると思われますか

私は30年以上、毎日、大阪にある枚岡
神社にお参りしてきました。
お参りしだしてから2,3年位たった頃で
しょうか、
ある日、神さまのパワー が感じ取れな
くなってしまったのです、
その次の日も、次ぎの日も続きました
何かおかしい、変だと感じたのです。
拝殿の中を凝視すると、今までと様子
がおかしい、誰もいない、空き家のよ
うです。
御参りしての帰り道、今は10月だ、
神無月だと思い出したのです。
アー神さまは出雲へいかれたのだと
それでお留守になっているのだと、
事務所にも神棚を飾っているが、事務
所の神棚も神さまがいる気配は無く
お留守のようでした。
10月の5,6日頃に出て行かれて、
25,6日頃に帰ってこられます、
毎年そうです
10月の5,6日頃に御参りに行くと「気
をつけていってらしゃい」と声をかけ
て、お見送りをしています。
10月に神社のお祭りががありますが、
その時は」不思議と神さまがいるよう
な感じがします。
(神さまも応援に来て下さっているの
かな)
このような経験、体験から神様は存在
していると確信しました。

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 4) A神さまは存在する

ある日のことです、枚岡神社の本殿の
前で拝殿に上がろうとすると、
拝殿の中で年配の女性が坐っていまし
た。
(私が毎日行っていた、昭和の時代は
拝殿に入れた。)
今は新しく改築されて入れなくなって
いるが その人の邪魔になってはいけ
ないので、帰ろうとすると「見ておれ」との声が聞こえたのです。

拝殿の中の女性を見ていると両手を合
わせて両手の中に息を吹きかけている
どうやら御霊振りの行をするようだ。
(御霊振りの行は両手でボールを包む
ようにして、その中に息を吹きかけ、
魂と観じて両手を上下に振り魂を活性
化させる行です)

御霊振りの行が始まると同時に彼女の
左から霧のようなものが、涌き出てき
ている。
両手の動きもすこしづつ、早くなって
きた。
行が進むにつれて、霧のようなものがもくもくと涌き出て、霧の中に誰かい
るように見えてきたのです。
彼女の行の様子をじっと見つめている
ようだ

御霊振りの行、両手の上下のスピード
が増すにつれて、霧の中に真っ白な
神主が着ていると同じような服を着た
男性が、中腰になって手の動きをじっ
と見つめている姿がハッキリと見えてきた。
上下のスピードも穏やかになってくる
と、真っ白な服を着た男性の姿も消え
ていき、御霊振りの行が終るころには
、霧も消え、なにごとも無かったよう
に、女性一人だけが座っていた。
時間は短いようでもあり、長いようでもあった。

始めて神さまの御姿を見せてもらった瞬間でした。

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  5)拝殿に登る  

後先になってしまったが、最初から
拝殿に入れた訳ではないですよ、
ある日、拝殿に入って黙祷したくなっ
てきた。
拝殿に上がろうとすると、
「上がっては駄目じゃ、お前はそこか
らじゃ」と言われた、
そこと指示されたのは拝殿に上がる
階段のいちばん下の所です。
階段の下に膝待ついて黙祷を2,3日続
けた。

すると
「一段、登って良し」 と言われる。
このようにして2段、3段と登って、
拝殿の前の廊下で黙祷するようになっ
てきた。
階段のところは2,3日 長くとも4日
あれば一段上がるのにお許しがでたが、廊下から卒業するには、一週間は
かかりました。、

拝殿の中に、入れても座るところは指
示されます、
正面に向かって左の後方です。すこし
づつ前のほうにいけたが、真ん中から前には坐れなかったなー
(坐っても落ち着かない)
いまでも他の神社に行って拝殿に登っ
ても前の方に坐るよう指示はないです

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  6)神在り月に

10月は一般に神無月といいますが、出
雲国にいくと神在り月というようです
神さまは10月になると出雲国に行かれ
るので、私も神さまを追って出雲地方
に 何年か続けて行ったものです。
大阪から出雲にいく途中に米子市があ
ります。
米子には大神山神社がある、
大神山神社は本社と奥宮があって、
毎月その神社にお参りに行っていた。
私の好きな神社の一つです。
その年はこの神社に神さまが集まるこ
とが解っていたので楽しみにしていた
その日がくるまで他の神社を巡って神
さまのパワーを頂いていました。

当日の夜がきました、
いつもこの神社には電球が点灯してい
ます。
この日、鳥居の前から本殿を見ると、
電灯が点いているのだが、その明るさ
がいつもと違うのです。
まるで本殿の中が黄金色のように、
光り輝いているのです。
鳥居から中に入るのも躊躇した、神さ
まの邪魔にならないかと 不思議な
ものですね、
神さまと会いたくて出雲国に来ている
のにいざその場面になると躊躇してし
まうのです

「中に入って良し」と言われたので、
鳥居から中に入って行きました。
本殿の前に着いても、中は煌々と光り
輝いています。 その前で黙祷してい
ると、
「中に入れ」と言われたので、神さま
の輪の中に入ったのだが、だが、だが、 その時の気持ち、、、忘れた
入って数分だったろうか、電灯の光も
いつもの明かりとなってしまった。

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後日談

その後、数年、経過してから神さまは
どこの神社に集まるのか、解らなくな
ってしまった
高野山のお坊さんも解らなくなった、
と言っていたそうです。
解らなくなってから 10月になっても
出雲国に行く気が無くなった。

出雲国には良い神社が沢山あるから、
また10月になったら出雲国の神社に
行って見ようかな、
神さまの会議の邪魔をしに

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7)全国の神さまを求めて
(北海道、沖縄を除く)

これも若い頃の話、若い頃は行動力が
あるからね、思い立ったら即、行動だ
全国の一ノ宮神社(地域一帯を守る神
様が居られる神社)をお参りした
が、あまり不思議なことは無かった。
一つだけ、心に残ることがあった、
九州を巡っていた時のことです。
車で走っていると、ある神社が気に
なった。

そこは一宮神社では無かったが、お参
りに入った
本殿の前では黙祷する気にもならず、
帰りかけると、本殿の左後ろに祠が
7,8つ並んでいた。
どこの神社の分霊を祭っているのかな
と、覗きこんでいると
「戸を開け」と声が聞こえたのです。
祠とはいえ、神さまが中に入っている
ので、開けても良いのだろうかと
考えたが、 言われたように開けること
にした.


真ん中から開けるのは恐れ多いので、
右端から開けた、 一つめ開けて、
アーこのような御霊が入っているのか
この時、初めて 御霊を見たのです。
何も変化ないので左端の二つ目、右か
ら三つ目と開けると御霊が横を
向いていたので正面に向けて閉じる、
四つ目も少し横を向いていたので、
これも正面に向けて閉じる。
五つ目を開けると御霊が斜めに倒れて
いた、
これも立てて正面に向けて扉を閉じる 六つ目を開けようとした時、
「もうしてはならぬ」と言われたので
、開けなかった。
この件については考えさせられた、し
かし私の意見は良いであろう、
このような事もあったと言うことで。

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  8) ある神社の神輿 

日本海の近くにある神社であるが、
この神社へも数回、お参りにきて いた
のです。
ある時、鳥居をくぐって本殿に歩いて
いくと私の前に何かがいること が解っ
たので これは心霊写真が写ると思い、
カメラを持っていたので写した。
それらが本殿の中に入って行ったので
私も本殿の前に立った、本殿の中にも
居る。
これも写るかなと思いカメラを向けて
フラッシュを焚くと、
「無礼なことをするな」と今にも刀で
切りかかって来る様子です。
「アー すいません、私は大阪で霊能
者をしている者です。
住所は コレコレで、悪気でしたのでは
無いのです、 神さまの事を知りたくて
皆なに神さまのことを広めたくてしたのです。」
「すいませんでした」と謝ると、スー
と去っていった。

今までも
「お前は何者や」と問われたことが何
回かあったのです。
そのような時、職業、住所を言って身元を明かすと納得してくれていた
のでとっさに職業、住所を名乗れたのです。

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9) 日月神事 麻賀多神社 
 参拝


神さまが、岡本天明に降ろしたとされる日月神示、 岡本天明に授けた場所が
麻賀多神社である。
この事を知ったのは、2012年3月
頃、インターネットで見た、
麻賀多神社の境内の写真も掲載されて
本殿も末社からも
良いパワーが 出ているので、一度、
お参りに行きたいと願っていた神社
であった。

2012年5月16日  参拝する。
全国の一宮神社を参拝していたが、
この神社への参拝は今までのお参りとは違っていた。
15時頃に麻賀多神社、駐車場に着い
ただろうか、
いつものように鳥居で手を合わせて
「入らさせて頂きます、」と声をかけ
て入ろうとすると、
「お前は誰だ」と聞かれた、
「大阪の霊能者のコレコレと言うもの
です」
と自己紹介をすると
「ちょと待っておれ」といわれたので
待っていた。
(今までは鳥居の所では、入って良い
入っては駄目じゃ、くらいだったので
不思議に感じた)

しばらく不動の姿勢で待っていると
「居るから、入って良い」とお許しが
でたの
で、境内に入っていく。
本殿の前で手を合わせて、黙祷を捧げ
るのは後にし、境内の中の様子を見ることを優先した。

本殿を中心として末社が10箇所位はあっただろうか、
ここは左回りに回ったほうが良いよう
に感じたので左周りに回って末社 に
挨拶をした。
その中でも天之日津久神の社から出て
いるパワーは強かった。
すべての 社に挨拶して、天之日津久神
の社の前に戻り黙祷していた。

黙祷していると
「晩に一升瓶を持ってこい」と神さま
の声。
「解りました。」と即答して、予約していたホテルに戻った。
ホテルで休息して20時頃に麻賀多神社
に向かう。
途中のス−パーで一升瓶を買い、
コップ、おつまみも買って、
そうだ私 は晩御飯を食べていない、
イカの焼いたのがあったので、
ワンパック、 買っていった。

麻賀多神社に入り、本殿に軽く手を合
わせて天之日津久神の社の前に着いた
そこの神さまは、おばあちゃんの姿だ
ったので、 「おばあちゃん、一升瓶を
持ってきたよ」
「あても買ってきたからな、柿ピーや
けれど、食べて下さ い」 コップに酒
を注いで、「飲んでね」と声を出して
言っている自分がいた
(神さまをおばあちゃと呼んで良いの
だろうかと思っている自分も いたが)

しかしここの神さまは私のことを、昔から知っていたようだ。
私は この神社に来たのは初めてだが。

私は天之日津久神の社の前に坐って、イカの焼いたものを食べながら喋っていた。
「神さまの前でこのように食べるの始
めてです。」とか
「このイカ、美味しいわ」とか とりと
めの無い話をしながら、イカをパクつ
いていた。

そうだ、肝心なことを聞かなければ、
「あの日月神示をしたのは、おばあち
ゃんですか」と聞くと
「あれは妹や、余計なことをしゃがっ
て」とぼやいている
「何故ですの」と問いかけると

「神さまはなー 人に解るように
してはいけんのじゃ、
解らないように助けるのが
神さまじゃ」と言われた。


このおばあちゃの言うこと、凄く納得
した。
こんな話をしながらイカを美味い、美
味いと食べ続けている、その時アレー
と思ったのです。
私は早食いなのに、食べているのにパ
ックの中は減っていないようなのです
パックの中を箸でつついても、まだ入っている。
それから減りぐあいを見ながら食べて
いたのだが、

おばあちゃんが
「ほかの神さまにも酒をやってくれん
か」と
言われたので、
「気がつきませんでした。」配ってい
った。
「配ってきたよ」と言葉をかけて坐っ
ていると
「もう一杯くれんか」というので、
「うん 良いよ、飲んで」と答えて、
先ほど
の酒を捨てて、新しく酒を 注いだ。

しばらくすると
「何か、願い事あるか」と聞いてきた
今まで神さまに願い事などしたことが
なかたが、
一番目に 「今、目的意識を見失ってい
るのです」
「お金」
「世の為。人の為、人類の為に動けた
ら」 と
この順序で三つの願い事を
言ってしまった。
おばあちゃは何も言わなかった。

その後、おばあちゃは眠たいといって
寝込んでしまった。
イカもやっと無くなってしまった。
お供えした柿ピー、散らかると、 神社の人に迷惑がかかるので、
お供えした柿ピー、おばあちゃんの
寝姿 を見ながら、食べてしまった。
イカも柿ピーも美味かったなー。
食べるものも無くなったので、 おばあ
ちゃんに 「帰るよ」と声をかけて
ホテルに戻った。

ここにお参りし、おばあちゃん
(神さま)と
会ってから、 私の精神は、、

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10) 拝殿のお祓い

2012年6月中頃だっただろうか 前
から気づいていたが、私の心は雑念が
多いことに気づいた。
雑念が多いので、枚岡神社で黙祷しな
がら、深呼吸していた。
(雑念が生じるときは、浅い呼吸にな
っている)
すると 「その方法を誰に教えて貰った
。」
と質問されたので「誰にも、自分で考
えてしています」と答えた。

その後、数日たってから、いつものよ
うに枚岡神社にいって、
いつも黙祷している場所に立つと、
「もう一歩下がれ」との声が聞こえた
困った、神様が立つ場所を指定した所
は、汚れ穢れ(ヨゴレ、ケガレ)て
いるのだ。
しかし、神さまの言うことを聞かない
訳にはいかないので、
「解りました。」と返事して、指定の
場所で黙祷したが、落ちつかない。
神さまの指定した場所で黙祷できない
ので、意を決して、
その場を清めることにした。
拝殿の前にお賽銭箱があります、
この一段高くなった所を清める作業を
しました。
この日と次の日と2日間で清めたので
す。
お参りに来ている人たちの念が残って
いた。
ある男性はこんなに頼んでいるのに、(何故、言うことを聞いて呉れへんの
かと怒っていた。)
そのような念が無くなるように清めた
2日間で清め、3日目にお参りに行って、神さまの指定した場所に正座し、黙祷に入った

今までの黙祷は眼を閉じて、閉じた眼
の先に集中して、神さまのパワーを受
けることを
主眼としていたが、 この日の黙祷は
自己の心の中、内面を見つめる黙祷だ
った。
この日から、心の雑念は 80%から90%
は減っただろうか、
(心は自由気ままに動きます、善を思
うことも、悪を思うことも、勝手気ま
まです、)
心の動きに振り回されている、心が主
であると勘違い思い違いしていたので
は、心について詳しくは真実なもので
述べる、、、)
今は心を制御する方法を、構築してい
る過程であり、確定したら述べよう、
それには 1ヶ月か半年、1年、3年か
かるかも知れないが、

心の思いが少なくなると、精神的に楽
ですよ、心だけでは無く、身体も楽に
なって軽くなります。

6月30日  心の雑念が少なくなるよう
に、心を見つめる方法は (真実なもの
は) の項で述べることとする。
それまで、しばらくお待ち下さい。
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